京唄子さん死去 女優で漫才師で大きな口で輝き放った豪快89年

[ 2017年4月8日 05:30 ]

京唄子さんの遺影が飾られた祭壇
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 夫婦漫才コンビ「唄子・啓助」やTBSドラマ「渡る世間は鬼ばかり」などで人気を博した女優の京唄子(きょう・うたこ、本名・鵜島ウタ子=うじま・うたこ)さんが6日午前10時33分、肺炎のため大阪市内の病院で死去した。89歳。京都市出身。故鳳啓助さんとの夫婦漫才で人気となり、離婚後もコンビを継続。鳳さんが亡くなった後は舞台、テレビで女優として活躍した。7日に通夜が大阪市内で近親者のみで営まれた。葬儀・告別式は8日に行われる。喪主は長女節子(せつこ)さん。

 小気味いい突っ込みが売りの漫才で一世を風びし、女優としても輝きを放った京さんが静かにこの世を去った。

 長女の節子さん(67)ら関係者によると、昨年9月末に大阪市内の病院に入院。食が細くなり、衰弱してはいたものの、意識ははっきりしていた京さんの容体が急変したのは今月6日朝。節子さん、劇団員時代に事実婚となった“4人目の夫”清家照行さん(79)に見守られ「眠るように」(節子さん)静かに息を引き取った。

 7日に行われた通夜には近親者が参列。おしゃれだった京さんの棺には愛用の帽子やサングラス、「渡る世間は鬼ばかり」の初出演時を含む台本5冊が納められた。節子さんは「偉大な母でした」と言葉を振り絞った。

 09年春に腰椎を圧迫骨折し、同年5月の大阪松竹座での舞台を降板、車いす姿で会見した。リハビリは思うように進まず、翌年10月の「渡る世間は鬼ばかり」で一度、女優復帰したものの、体調は回復しなかった。

 その後は、自身の半生を語る講演会などを時々行う程度で、近年は仕事依頼を断った。知人らにも「滑舌が悪くなった。もう舞台には出ない」と吐露。自宅で家族の介護を受けるなどしていた。

 恋多き人生だった。18歳で女剣劇で人気だった「なでしこ劇団」に入団。劇団を転々とする中で父親ほど年の離れた俳優の故浪花五郎さんと結婚。ほどなく妊娠したが、周囲に隠して舞台に立ち、立ち回りもこなしながら節子さんを出産した。

 54年ごろに「瀬川信子一座」で座付き作家だった鳳啓助さんと出会い、夫がいる身で駆け落ちするように一座を去った。映画人気の拡大で舞台の仕事が減ると、鳳さんは漫才への転向を決意。強く反対した京さんを説得し、コンビを結成した。

 「ポテチン」「忘れようとしても思い出せない」など啓助さんの珍語ギャグや、大きな口がトレードマークだった京さんを啓助さんがいじるネタでブレーク。フジテレビのトーク番組「唄子・啓助のおもろい夫婦」は絶妙なやりとりで人気となった。64年に離婚後もコンビ活動を続け、「唄啓劇団」を立ち上げた。啓助さんが94年に他界した後は女優として活躍。幅広い役柄を演じた。

 事実婚を含め、4度の結婚、3度の別れを経験。「啓ちゃんとの子供を産んでおけばよかった」と打ち明けたこともあった。持ち前の情熱で駆け抜けた89年だった。

 ◆京 唄子(きょう・うたこ)1927年(昭2)7月12日、京都市出身。18歳で劇団「なでしこ」に入り、京町唄子の名で舞台女優に。56年、鳳啓助さん(94年死去)とコンビ「唄子・啓助」を結成して漫才を始める。その後、結婚した鳳さんとは離婚後も共演。フジテレビのトーク番組「唄子・啓助のおもろい夫婦」は16年続く人気番組に。NHK連続テレビ小説「おんなは度胸」「やんちゃくれ」などにも出演。97年、国際芸術文化賞。2008年、「上方演芸の殿堂入り」表彰を「唄子・啓助」で受けた。

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