損得勘定ならぬ“忖度”勘定 時代を超えた教訓

[ 2017年4月3日 08:07 ]

 【笠原然朗の舌先三寸】「忖度」は「そんたく」と読む。「他人の気持ちを推しはかる」という意味だ。いまこの「忖度」が話題になっている。

 学校法人・森友学園を巡る一連のニュースの中で、大阪府豊中市の瑞穂の国小学院の認可で忖度があったのではないか?と野党から問われた安倍総理は、「名誉校長に安倍昭恵という名前があればですね、印籠みたいに恐れ入りましたとなるはずがないんですよ。忖度した事実がないのに、まるで事実があるかとの、ことを言うっていうのは、これは典型的な印象操作なんですよ」と返した。

 「忖度」はあったのか、なかったのか?

 橋下徹前大阪知事は、大阪府の私立小学校設置認可をめぐって、「悪いのは僕」「僕の意向を忖度した」と自身の責任を認めた。返す刀で「森友学園に対して役人は絶対に忖度する。トップの意向を忖度しない組織なんてあるんですか」。

 これらに付随して、「良い忖度」「悪い忖度」なる議論も勃発した。

 「忖度」について、サラリーマンなら多少なりとも経験があるのではないか?

 部長「この前、常務が役員室の窓から外を見てため息をついていたけど…」

 次長「今度の役員会がらみですかね。常務派のとりまとめがうまくいってないといううわさもあるし…」

 部長「いや、最近、娘さんが嫁にいったそうだ。お寂しいのかもしれない」

 課長「前の部署で直属の上司だったんですけど、この前、喫煙室で2人きりになったとき、『田中くん、諸行無常って知ってるか』って。突然でびっくりしましたが…」

 部長「それは大変だ。いずれにせよ、常務を励ます会をやろうか…」

 次長・課長「いいですね。私たちは部長に付いていきますよ」

 後日、飲み会で…。

 常務「私が窓の外をみてため息をついていたって…。ははは、花粉症の季節が近いなと思ったら急に憂鬱になってね」

 上役の顔色を見て、気持ちを忖度することは悪いことではない。 

 「おっ、おまえ、なかなか気がつくな」なんて覚えめでたし。得点を稼いで、出世にもつながる。これを「忖度勘定」という。

 「忖度」…普段、あまり使われないこの言葉が亡霊のように姿を現した。さてこの言葉、ここ数年の間にどこか繰り返し述べられているのをみたぞ!と。思い出した。作家・森達也氏のノンフィクション「A3」でだった。

 第33回講談社ノンフィクション賞受賞作の本書のメインテーマは、オウム真理教事件。尊師・麻原彰晃とその弟子たちの関係性について森氏は言及する。

 オウムが1994年に導入した「省庁制度」について「これによって教団は完全な縦割り組織となり、かつてのように麻原から一人一人の信者が指示を受けるということはほとんどなくなった。言い換えれば幹部信者たちが『これは尊師の指示である』として、信者たちに指示や伝達を伝えることがとても多くなった。こうして過剰な忖度は暴走する」。オウムが起こした一連の殺人事件は、弟子たちの尊師に対する「過剰な忖度が発動」した結果だったと分析している。 

 忖度が「善い」か「悪い」かではなく、その度合いが問題。オウムは極端な例だろうが、組織内において、トップないしはそれに準ずる者への忖度は当然、ある。そして独裁者が大きな影響力を持つような組織において、取り巻きなどによる「過剰な忖度」が問題を引き起こすことがある、と考えた方がよさそうだ。 「安倍一強」の中で、首相の威を借りる昭恵夫人が名誉校長を務めていた学校法人。土地取得や認可の段階で何らかの「忖度」はなかった…と言い切ってしまうところに無理がある。本当にそう思っているのだとしたら、かなりの鈍感だ。

 自分に対する「忖度はあった」と認める橋下氏の方がしたたかだ。それが党勢拡大のための発言であったとしてもだ。

 余談ではあるが、「忖度」はもともと、中国は儒教の教典、四書五経の1つ「詩経」に記されている言葉。「小雅」の中の「巧言」の章で、「他人有心、予忖度之」とある。「他人にはみな心がある。われわれはこれを忖度しなくてはならない」。

 「巧言」とは「口先だけの言葉」。この詩で、うたわれているのは、讒言(ざんげん)、つまり事実を曲げたり、ありもしない事柄を君主がたやすく信じるから乱が治まらないという嘆き。

 その文脈の中で、「巧言」に惑わされることなく、「他人の心を忖度せよ」ということ。

 この詩の中で、「巧言」「讒(言)」「忖度」は対になって表れる。今回の森友問題を考えるとき、時代を超えてシンクロし、そこに教訓的な意味を見いだした。(専門委員)

 ◆笠原 然朗(かさはら・ぜんろう)1963年、東京都生まれ。身長1メートル78、体重92キロ。趣味は食べ歩きと料理。

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2017年4月3日のニュース