平山みき「真夏の出来事」が人生変えた 「あんな経験はあの時だけ」

[ 2017年3月26日 10:30 ]

個性的な声とリズム感は今も健在な平山みき
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 平山みき(67)が歌う「真夏の出来事」が忘れられない。遠い日にラジオで流れてきたあのハスキーボイス。海、空、車、ちょっぴりほろ苦い青春時代がよみがえる。少し背伸びしたあの頃の自分に会うため、コンサート先の本人を訪ねてみた。

 アンノン族、アメリカンクラッカー、二十歳の原点、アポロ14号、江夏のオールスターゲーム9連続三振など、どれもこれもこの年のことだ。大阪万博の翌年、世の中は高度経済成長期の終わりが近づき、ニクソンショックで先行きに不透明感が漂い始めていた。

 そんな年の5月25日にリリースされたのが、「真夏の出来事」。リズミカルで心地よいイントロは、一度聴いたら耳奥にいつまでも残った。ちょっぴり大人の世界に足を踏み入れた女の子の気持ち。彼女のどこか危なげなルックスと鼻にかかったハスキーな歌声は、まさにこの曲にうってつけ。暑い季節が近づくにつれヒットチャートを上昇していった。

 蝉(せみ)の声が暗いビルの谷間に響く。フジテレビの人気番組「夜のヒットスタジオ」に初めて呼ばれた。

 「あんな経験をしたのは後にも先にもあの時だけですね。1日で人生が変わるなんて普通ではできない経験だと思います。番組の翌日、街を歩いているとみんなが振り返るんですよ。いろいろな人から“サインしてください”と頼まれるし。売れるってこういうことなんだって」

 この人にとってもまさに真夏の出来事になった。歌謡曲全盛の時代。ちなみに同年ヒットしたのは、尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」、小柳ルミ子の「わたしの城下町」など。それにしても歌と歌い手の関係は不思議なもの。互いに補い合ってひとつの世界が出来上がるのか。♪彼の車に乗って真夏の夜を走り続けた 歌の中の少女はいつしかこの人の大人びた姿に重なって見えた。

 でも、本人からは意外な答え。「あの当時は凄く嫌でしたね。だって、私はそういう女の子じゃなかったですから。凄く真面目でした。だから、詞もほとんど理解してなかったと思います。よく“昨日、六本木で遊んでたでしょ”なんて言われたけど、ディスコへ行ったこともなかったですから」

 父親は警察官。もちろん、芸能活動など賛成するはずもなかった。2人姉妹の妹。生まれ育った大田区蒲田は、かつて映画にもなった松竹蒲田撮影所があった街。至る所に芸能文化の薫りが残り、父と対照的に母親は歌や芝居が好きな人だった。幼い頃に「歌が上手なのね」とその母に褒められて、いつか歌手になると決めた。ところが、元々声が低かったこと、他の子供よりおしゃれ好きだったからか、「なぜか不良っぽくみられていましたね」。

 地元の中学へ進学すると、2年上の番長から「名前、なんていうの」と声を掛けられた。卒業式では「歩き方がふてぶてしい」と卒業証書を胸に壇上から降りる時、会場から失笑が起きた。周囲からそう見られていることで逆に「だったら絶対に私生活は真面目にしよう」と心掛けた。

 高校を卒業後、銀座の音楽喫茶「メイツ」で歌っていた彼女を認めたのが、作詞家の橋本淳氏だ。その後、作曲家の筒美京平氏に紹介された。そして、いきなりデビュー曲となった「ビューティフル・ヨコハマ」を渡された。都内の事務所に「毎日来なさい」と言われ、素直に休まず通った。ところが、2人の姿を見ることはあってもいっこうに歌の練習をする気配はない。ある日、「なんでレッスンしたいと言わないんだ」と怒られた。おとなしく座っているだけの自分を恥じた。

 2人の恩師は初めからそんな彼女の魅力を十分に理解していた。筒美氏について、平山は「声、節回し、個性などその人の良いところを瞬時に把握し、それを引き出す曲を作ってくれます。“これを歌いなさい”ではなくて、この人にはこの曲が合うと提供してくれる」。橋本氏には「私のキャラにマッチした詞をいつも考えてくれてます」と話している。ヒットメーカー同士のコンビが満を持して世に出したのが「真夏の出来事」。平山が子供の頃からコンプレックスを抱いていた自身のイメージ、低い声を最大限に生かし、50万枚を超す大ヒットとなった。

 その後も「フレンズ」「恋のダウン・タウン」などヒット曲を連発するも「生活は全然変わることがなかったですね。夜、相変わらず夜遊びに行くこともありませんでした」。一つだけ変化したことがある。それは「遊んでいるとみられることが嫌ではなくなりました。逆にかっこよく思えるようになりましたね」。お酒は飲めない。趣味はディズニーやアニメのキャラクターが付いたプラスチックの菓子ケース、PEZ(ペッツ)を集めること。「家にはもう1000個以上あります」と楽しそうに話した。

 ◇平山 みき(ひらやま・みき)1949年(昭24)8月22日、東京都出身の67歳。日本音楽高等学校卒業。70年、「ビューティフル・ヨコハマ」でデビュー。翌年、「真夏の出来事」がヒット。その後も「フレンズ」などを連発し、スター歌手の仲間入りを果たす。ラッキカラーは黄色。4月1日には、東京・新橋ベラマッティーナでライブを行う。

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2017年3月26日のニュース