吉田拓郎 ムッシュさん名曲「我が良き友よ」秘話語る「とにかくヒットを」

[ 2017年3月8日 16:01 ]

ニッポン放送「春の新番組」パーソナリティ発表記者会見に出席した菅田将暉(左)と吉田拓郎
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 歌手の吉田拓郎(70)が8日、都内で行われたニッポン放送「春の新番組」パーソナリティ発表記者会見に出席。長い年にわたって親交のあった、1日に膵臓(すいぞう)がんのために死去した歌手のムッシュかまやつさん(享年78)との思い出を語った。

 6日に都内の教会で行われたかまやつさんの葬儀にも出席した吉田。4月2日スタートするニッポン放送「吉田拓郎ラジオでナイト」(日曜前11・30)の数々の名曲たちがいつ、どこで、どのように作られたかを語るというラジオ内容にかけて、吉田がかまやつさんに提供し、大ヒットした「我が良き友よ」(1975年)についての秘話を明かした。「『我が良き友よ』を作る前に、かまやつさんとはシンシアという曲を南沙織さんのことを思って作った曲をやっていたんですが、その時にかまやつさんとかまやつさんのスタッフからとにかくヒット曲を作りたい。狙いが明らかにあるという前提で曲を書いてくれないかと(依頼が来た)」と当時を回顧した。

 「僕の大学の友だちにバンカラな応援団にいた人がいて、いつか彼をモデルにして歌を作りたいと思っていたので、『我が良き友よ』という曲を作ってかまやつさんに渡した」とし、「かまやつさんは第一印象として最初は歌いたくなかったみたいです。自分の生き様、ロックをやっていたわけだから、そういう趣旨からすると、バンカラな曲は自分には似合わないと判断されんだと思う。当初は非常に嫌がっていたと思います」と続けた。

 ただ、結果的には70万枚という大ヒットを記録し、かまやつさんの代表曲となったが、「そういういきさつがあったんですけど、結果的には大ヒットしたので、彼も万々歳だったと思う。そこからかまやつさんとの親交が始まった」としみじみ。「つい最近までメールのやり取りをしていた。お互いのこれまでの長いお付き合いのことについてやり取りしたりする友人関係は続いていました」と長年にわたった親交を振り返った。

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2017年3月8日のニュース