急逝を悼む声続々…ユーミン「風のように生きるおしゃれ」学んだ

[ 2017年3月3日 05:30 ]

ムッシュかまやつさん死去

ムッシュかまやつさん(1978年撮影)
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 72年のデビュー曲「返事はいらない」でプロデューサーを務めたかまやつさんを師と仰いでいた松任谷由実(63)は所属レコード会社を通じコメント。「風のように生きるおしゃれを、いつも教えてくれました。私もいつか風のように消えて、ムッシュのいるところへ行きたい」と喪失感をあらわにした。

 かまやつさんは楽屋に出入りしていた女学生時代からユーミンの才能に着目。デビュー曲は300枚しか売れなかったが、ユーミンもかまやつさんの音楽的素養を慕い続け、長年公私ともに交流。ユーミンの名曲「中央フリーウェイ」は元々かまやつさんのために書かれたことで知られる。コメントではかまやつさんを「私の恩師であり、大大大、、親友でした」と、大切な存在であることを強調した。

 ▼ミッキー・カーチス(歌手)高校1年のころからジャズ学校で一緒だった。本当に仲良しだった!ソロになったり、海外に行ったりで、会わない期間もあったけど、また日本に戻って来てからはご飯に行ったりセッションしたり…。ツイッターでもよく絡んでたなぁ。もう一度会いたかった。本当に残念だ!

 ▼泉谷しげる(歌手)ムッシュとのコラボは昨年まで行ってた「ムッシュかまやつ・泉谷しげるトーク&ライブ」だった。全国20カ所をふたりで回ったが大型バスでの移動のときは、ムッシュの隣席に座り、60年代の音楽やファッションの話をイッパイ聞かせてもらったなぁ。オイラとはキャラ違いすぎてとてもムッシュのようになれないが、また一緒にライブができるようステージの席は空けておくよこれからも。(ブログから)

 ▼THE ALFEE(バンド)昨年、僕らのレギュラー番組に、闘病中にもかかわらず来ていただき、お元気に振る舞われていた姿が忘れられません。70年代、僕らがまだデビュー間もない頃、全く売れていないアルフィーをバックバンドに使ってもらい、本当にたくさんの大切なことを学ばせていただきました。

 ▼布袋寅泰(ギタリスト)ムッシュ。あなたは僕らの憧れでした。もう一度会いたかった。天国でもロックンロールしてください。優しいまなざしをありがとう。

 ▼トータス松本(歌手)2009年のアルバムで、「どうにかなるさ」を一緒に歌わせてもらったのが最後です。その時の歌詞シートは僕の宝物、壁にかけていつも見ています。

 ▼深田恭子(女優)昨年、「近々お会いしましょうね」とご連絡をいただいていたのに急なことで驚きました。もうあの笑顔が拝見できないと思うと寂しいです。

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2017年3月3日のニュース