世界が認めた映像美…鈴木清順監督死去 93歳慢性閉塞性肺疾患

[ 2017年2月23日 05:30 ]

2001年に撮影された鈴木清順監督の写真。遺影に使われた(撮影・本多晃子)
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 「東京流れ者」「けんかえれじい」「ツィゴイネルワイゼン」など、独特の色彩感覚と様式美で知られた映画監督の鈴木清順(すずき・せいじゅん、本名清太郎=せいたろう)さんが13日午後7時32分、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため東京都内の病院で死去した。93歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻崇子(たかこ)さん。俳優としても活躍したダンディーな監督だった。

 白いヒゲ、白髪のひょうひょうとした風貌で多くのファンに愛された清順監督が天国に旅立った。日活の広報によると、昨年12月半ばに体調を崩して入院。小康状態を保ったが、13日に崇子夫人ら近親者数人にみとられて息を引き取った。元NHKアナウンサーの鈴木健二さん(88)は弟だが、スポニチ本紙取材に対応した夫人とみられる女性は「日活に全て任せております。鈴木本人はコメントしません」と答えた。

 14年ほど前に肺気腫を患ってから常に酸素ボンベを装着。80歳を過ぎてからは車椅子を使うことが多くなったが、関係者によれば元気で穏やかに過ごしていたという。

 1997年に47年間連れ添った前妻を亡くした清順監督が世間をあっと驚かせたのが米寿を迎えた2011年の初夏。48歳年下の現夫人との再婚だった。映画をDVDなどに編集する会社の編集者で、監督は本紙の取材には「私事だから勘弁して」と照れくさそうに言いながら、婚姻届を提出したことは認めた。

 弘前高校在学中の43年に学徒出陣しフィリピンなどを転戦。復員後の48年に松竹大船撮影所に助監督として採用された。54年日活に移籍し、56年に「港の乾杯・勝利をわが手に」で監督デビュー。和田浩治さんや宍戸錠(83)主演のアクション作や小林旭(78)主演の「関東無宿」や渡哲也(75)主演の「東京流れ者」などで様式美を見せたほか、高橋英樹(73)主演の「けんかえれじい」には自らの青春体験を反映させた。

 67年に発表した「殺しの烙印」が当時の日活社長から「訳の分からない映画ばかり作られては困る」と批判されて解雇される“事件”もあった。各映画団体の支援などもあって和解が成立したが、77年に松竹で撮った「悲愁物語」まで10年間の空白を余儀なくされた。

 アラ還を迎えてから本領発揮。「ツィゴイネルワイゼン」(80年)がベルリン国際映画祭で審査員特別賞を受賞するなど世界でも高く評価され、翌81年の「陽炎座」、91年の「夢二」と大正浪漫3部作を完成させた。05年の「オペレッタ狸御殿」が最後のメガホン作となった。俳優としても活躍。15年に公開された原将人監督(66)の「あなたにゐてほしいSoar」には特別出演した。

 昨年11月、3部作で組んだ荒戸源次郎氏が70歳で死去。葬儀に参列せず関係者を心配させていた。故人の遺志で、しのぶ会の予定もないが、作品はファンの心の中でいつまでも生き続ける。

 ◆鈴木 清順(すずき・せいじゅん)本名清太郎。1923年(大12)5月24日、東京都生まれ。56年「港の乾杯・勝利をわが手に」で監督デビュー。主な作品に「けんかえれじい」「東京流れ者」「ツィゴイネルワイゼン」など。90年紫綬褒章。元NHKアナウンサーの鈴木健二さん(88)は弟。

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