藤村俊二さん逝く…82歳心不全 最期も静かに“おヒョイ”と

[ 2017年2月2日 05:30 ]

藤村俊二さん
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 「おヒョイさん」の愛称で親しまれた俳優の藤村俊二(ふじむら・しゅんじ)さんが1月25日午後8時45分ごろ、心不全のため入院していた静岡県御殿場市の病院で死去した。82歳。神奈川県鎌倉市出身。体調不良のため2015年10月で日本テレビ「ぶらり途中下車の旅」のナレーションを降板。復帰を目指し療養生活を送っていたが、思いはかなわなかった。ヒョイと姿を消すことから付いた愛称通りの旅立ちだった。

 藤村さんは仕事現場で顔を合わせたと思ったら「ひょい」といなくなることが多かったため「おヒョイさん」と呼ばれた。その愛称通り、唐突に「ぶらり…」のナレーションを降りてから1年超。最期も人知れず静かに逝った。

 長男で所属事務所の代表を務める亜実さん(50)がこの日夜、都内で取材に対応。藤村さんが15年10月に小脳出血のため自宅で倒れて以降、療養生活を送り「何度も危険な状態を乗り越えてきた」と明かした。当初は千葉県鴨川市にある心臓外科で評価の高い病院に通っていたが、昨年4月に御殿場市の病院に転院。昨夏から肺炎を繰り返し、意識のない状態が続いた。最期は亜実さんが見守る中、穏やかに息を引き取ったという。

 96年に再婚した元タレントの長尾みか代さん(54)について聞かれると、亜実さんは「13年12月に離婚したと報告を受けました」と明かした。離婚以降は父子2人で暮らしていたという。この日、東京都台東区の祝言寺で営まれた葬儀にも、みか代さんは参列しなかった。親族のほか、萩本欽一(75)、堺正章(70)、映画プロデューサーの黒沢久雄氏(71)が駆けつけた。

 藤村さんは「ぶらり…」を15年10月10日放送分を最後に降板。同12月に一部女性誌で芸能界引退が報じられた後、局から降板が発表された。この時、すでに離婚していたみか代さんが「妻」として女性誌の取材に応じ「藤村は仕事を全部やめた」などとコメント。その後、亜実さんが引退報道を否定した。亜実さんは「彼女も長年(藤村さんのマネジャーとして)マネジメントしていたので、思うこともあったのでしょう」と推し量った。

 藤村さんは演出家を目指して早稲田大学第一文学部演劇学科に入学したが中退。東宝芸能学校舞踊科に入り直した。日劇ダンシングチーム12期生として1960年に渡欧したがレベルの高さに自らの限界を痛感して舞踊家の道を断念。帰国して振付師に転向した。その後、俳優としてはとぼけたキャラクターやおしゃれな紳士などを演じた。私生活では61年9月に元日劇ダンサーの女性と結婚し1男1女をもうけたが、95年に離婚。みか代さんと再婚した際は28歳差婚が話題を呼んだ。56歳の時に胃がん、64歳の時に大動脈瘤(りゅう)の手術を受けるなど病気にも苦しめられた。

◇藤村俊二さん献花の会日程

【献花の会】14日(火)正午

【場所】東京都渋谷区神宮前6の25の12、慈雲山長泉寺=(電)03(3407)2331

 ◆藤村 俊二(ふじむら・しゅんじ)1934年(昭9)12月8日、神奈川県鎌倉市生まれ。父は東京・有楽町の映画館スバル座やオリオン座などを持っていたスバル興業の社長。小学校から高校まで暁星学園で学ぶ。日劇ダンシングチーム12期生として60年に渡欧。帰国後、振付師に転向し、レナウン「イエイエ」のCMなども担当。三谷幸喜作品に俳優として多く起用された。「タレント」という肩書が嫌いで「アクター(俳優)」を自任していた。

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