根津甚八さん死去 2000年以降は病との闘い…10年引退

[ 2016年12月30日 05:30 ]

映画「GONIN サーガ」で1作限りの俳優活動を行った根津甚八
Photo By 提供写真

 NHK大河ドラマ「黄金の日日」や黒澤明監督の映画「影武者」などに出演した元俳優の根津甚八(ねづ・じんぱち、本名透=とおる)さんが29日、肺炎のため都内の病院で死去した。69歳。山梨県出身。故人の遺志で近親者のみで密葬を行う。うつ病や目の病気などで2010年に俳優業引退を表明。15年公開の映画「GONIN サーガ」に1作限定で復活し、ファンを感激させたが、これが最後の晴れ舞台となった。

 舞台、映画、ドラマに歌と幅広く活躍した根津さんが、29日の昼すぎに静かに息を引き取った。数カ月前に体調を崩して入院。関係者によると、近しい人と面会することも避け、最期は仁香夫人(54)との水入らずの時間を過ごしたようだ。

 15年ほど前から病との格闘の日々を送った。2001年ごろ、右目下直筋肥大という顔面の病気を発症。後遺症に悩まされ、次第に活動を縮小させた。さらに04年7月には被害者が死亡する交通事故を起こし、謹慎生活に入った。06年5月に立ち上げた自身のブログで活動休止中の様子をうかがわせたが、08年2月から更新していなかった。

 翌09年には仁香夫人が雑誌に手記を発表。根津さんがうつ病を患っていることと、持病の椎間板ヘルニアが悪化していることを明かした。療養生活は続いたが、10年9月に俳優業からの引退を表明。同時に闘病の様子と俳優時代を回顧した夫人著の「根津甚八」(講談社)が出版された。献身的に看病した仁香夫人はテレビのインタビューで「つらいことばかり降りかかってきた。なぜこの人と結婚したのかと思ったこともあった」と胸中を明かしていた。

 そんな根津さんを再び表舞台に引っ張り出したのが石井隆監督(70)だった。それが15年公開の「GONIN サーガ」。根津さんが扮した元刑事の氷頭要は、95年公開の前作のラストで銃に撃たれて誰もが死んだものと思ったが、生きていたという設定にして続編を計画。何度も自宅に足を運んで説得する監督に根津さんも「本をじっくり読んで、これなら今の自分にできるという気持ちが湧いてきた」と心動かし復帰を決めた。

 関係者によれば、根津さんの撮影が終わると、すさまじい役者魂に東出昌大(28)や桐谷健太(36)ら共演者やスタッフが感涙。根津さんも「やり遂げたことで、未練を捨てて終止符を打てたと思う」と笑みを浮かべたという。

 突然の悲報に石井監督は「凄い役者で大好きでした。色悪というか、何をやっても格好がいいものだから、アクションスターと呼ばれましたが、とても繊細で、でもカチンコが鳴ると捨て身で演じるから腰を痛めたり、いつも満身創痍(そうい)でした。もう一度だけスクリーンでカッコイイ根津さんを見たくて、根津さんのために書いたシナリオを、一昨年、10年がかりで成立させたのですが、ただただ残念です」とコメントを寄せた。

 唐十郎主宰の「状況劇場」の出身。芸名は唐が真田十勇士の根津甚八に絡めて命名。勇士の甚八は大坂夏の陣で幸村の影武者となって討ち死にしたが、大河ドラマが「真田丸」だった年の根津さんの死。運命的なものを感じさせる。

 ◆根津 甚八(ねづ・じんぱち)本名・根津透。1947年(昭22)12月1日、山梨県生まれ。独協大中退後の69年に状況劇場に入団し、翌年の舞台「ジョン・シルバー 愛の乞食篇」でデビュー。75年にフジテレビ「娘たちの四季」でドラマ初出演。78年のNHK大河ドラマ「黄金の日日」で人気俳優となった。79年に状況劇場を退団。82年の「さらば愛しき大地」「この子の七つのお祝いに」の演技で日本アカデミー賞優秀主演男優賞などを受賞。黒澤明監督の「影武者」(80年)や「乱」(85年)、降旗康男監督の「駅 STATION」(81年)など多数の作品で活躍した。

続きを表示

この記事のフォト

2016年12月30日のニュース