りりィさん死去 64歳肺がん“ROCKの時間”に旅立つ

[ 2016年11月12日 05:30 ]

独特のハスキーボイスで歌手としても女優としても活躍したりりィさん

 「私は泣いています」で知られるシンガー・ソングライターで、女優としても活躍したりりィ(本名鎌田小恵子=かまた・さえこ)さんが11日午前6時9分、死去した。64歳。福岡県出身。肺がんで病気療養中だった。息子でミュージシャンのJUON(31)と妻で「DREAMS COME TRUE」の吉田美和(51)が最期をみとった。葬儀は近親者で行う。

 りりィさんが静かに逝った。関係者によれば、最後に暮らしていた千葉県鴨川市の自宅に無言の帰宅をした。JUONは「愛する母が今朝6時9分“ROCKの時間”に旅立ちました。僕に人を愛することを教えてくれた人です。ママ、樹音って名前を付けてくれてありがとう!」とツイート。母の死を感謝の気持ちとともに報告した。知人によると、りりィさんは「葬儀はしないで」と遺言を残したため、身内だけで荼毘(だび)に付し、見送るという。

 今年春の定期健診で肺がんが見つかり、女優の樹木希林(73)に紹介してもらった鹿児島県の病院に入院して治療を受けていた。99年にユニット「りりィ+洋士」を結成した齋藤洋士(60)も4月にホームページで「静養・療養に専念するため5月からライブ活動を中止する」と闘病を明かしていた。

 24歳で最初の結婚をしたが、5年後の81年に離婚。85年にミュージシャンのガンジーと再婚し、恵まれたのがJUON。その後、2度目の離婚を経験し、鴨川で独身生活を送っていたが、数年前に私生活でも齋藤がパートナーとなった。毎年10月に欠かさず出演していたライブ「新宿ブルースナイト」の現場でも報告して祝福を受けた。同ライブは今年は10月9日に開催されたが、友人によると、前日に電話があり、「来年は頑張って出るよ」と元気な声で話していたという。

 72年に歌手デビュー。女性シンガー・ソングライターの草分け的存在で、人気を集めた。74年に♪私は泣いています ベッドの上で…の歌詞で始まる「私は泣いています」が100万枚を超えるヒットとなった。その存在感は映画界からも注目を集め、大島渚監督の「夏の妹」で女優デビュー。近年は「リップヴァンウィンクルの花嫁」や公開中の「湯を沸かすほどの熱い愛」にも出演していた。

 所属事務所によると、「はるねこ」「彼らが本気で編むときは、」「追憶」と3本の映画が12月から来年にかけて公開を控えている。4月に福山雅治(47)主演のフジテレビのドラマ「ラヴソング」にレコード会社の社長役で出演したのが最後の仕事となった。撮影中は元気で、関係者は訃報に驚き、ショックを受けている。

 ◆りりィ 本名・鎌田小恵子。1952年(昭27)2月17日、福岡市出身。1972年にアルバム「たまねぎ」で歌手デビューし、74年のシングル「私は泣いています」が大ヒット。83年に結婚・出産のために一時活動休止し、95年に音楽活動を再開した。女優としても映画「夏の妹」(72年)でデビューして以来、ドラマは97年のTBS「青い鳥」、01~02年のTBS「3年B組金八先生」、映画は「ニンゲン合格」「のど自慢」などに出演。主演した「パークアンドラブホテル」はベルリン国際映画祭で最優秀新人作品賞に選ばれた。公開中の「湯を沸かすほどの熱い愛」にも出演している。

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