1度だけ師弟漫才を…テントさん、抱き続けた上岡さんとの約束

[ 2016年10月13日 14:50 ]

テントさんの人気芸「人間パチンコ」。なかなかそろわない「7」を披露
Photo By スポニチ

 お笑い界のツチノコと呼ばれたテントさんが亡くなってから2週間以上経つ。所属の吉本興業によると、9月27日夜、大阪市天王寺区の谷町9丁目の交差点で、テントさんが歩道から外れた場所を渡っていたところ右折する車に轢かれたという。先輩後輩問わず、誰にでも愛された芸人さんだった。舞台上で見せる芸は、自身の右手と左手を戦わせる「クモの決闘」や「人間パチンコ」などエキセントリックなものだったが、舞台裏では穏やかな人柄が印象に残っている。

 関西版のスポニチお笑いコラムで初めて紙面に取り上げたのは16年前のことだ。「芸歴25年を誇るが、テレビで見ることはツチノコを探すくらい難しい」と書いた。90年代の終わり頃から人気に火がつき、当時、大阪の300人規模の劇場が連日満員になった。吉本興業のライブでは一番早くチケットが売り切れるという珍現象も起こっていた。ただ、自身が売れることには無頓着だった。「自分が面白いと思ったことしかやらないんですわ」「新しいネタは邪魔くさいから作らないんです」。この時点で人間パチンコは18年目に突入。とにかくマイペースな人だった。

 最初にテントさんを意識したのは学生の頃に見た「鶴瓶上岡のパペポTV」だった。上岡龍太郎さんの一番弟子であることは仕事をし始めてから知った。取材が長時間にわたってもいつも嫌な顔をせず、質問に一つひとつ丁寧に答えてくれた。

 最後のインタビューは6年前。手元にあった46分の音源を聴き直すと「お笑い界のツチノコなんで、いっそ架空の人物になろうかなと思います。架空の人物は最終的に生きてる証なんかいらないですよね。月光仮面とか赤胴鈴之助とか中村主水も架空。友達の知り合いの知り合いが見たけど、どこで見たか分からない。ひょっとしたら架空の人物ちゃうか?ってね。ツチノコと一緒です。どこで出てるか分からないのも面白いでしょ」と話していた。00年に芸能界を引退した上岡さんの2代目襲名オファーを断ったエピソードにも触れ、「大きな名前を継いで喜ぶのは噺家とハマチだけって言って断りましたね」。それも、どこかテントさんらしかった。

 その時の記事のテーマが「不思議な話」だったので紙面からこぼれ落ちているものも多くあった。「ボクが70歳の時に師匠が79歳。その時に1回だけ漫才をしようって言うてます。その時、1回だけですけどね。“芸能界は辞めたけど1回だけならなあ”って言うてました。師匠は、ええ加減やから分からないですけどね」。笑い声とともに、そんな約束も残っていた。70歳まであと5年だった。志半ばで架空の人物になったテントさん。どうしても2人でセンターマイクに立つ姿だけは見てみたかった。(記者コラム)

続きを表示

2016年10月13日のニュース