“復興半ば”の茨城県常総市 目立つ若者の転出、閉店する店も…

[ 2016年10月4日 09:30 ]

 関東・東北豪雨による鬼怒川の堤防決壊から1年となった9月中旬、広範囲に浸水し、2人が死亡、住宅5000棟以上が全半壊するなど大きな被害が出た茨城県常総市を取材した。1年が経過し、家の修理や再建を終えた人がいる一方、今も被災の自宅に戻れない人も数多くおり、あたらめて“復興半ば”を実感させられた。

 常総市では今も200人近くが公営住宅などでの仮住まいを余儀なくされていた。本石下地区の自宅が床上浸水し、現在も親類宅で暮らす山本信二さん(78)は「自宅の修理資金が確保できなくてね」とため息をつき「年寄りは戻ってきたいと思っているけど、若い人は戻る気がないんだ」と寂しそうに話した。

 同市によると、同市の人口は被災前に比べて約800人減少。20、30代の転出が目立っているという。自宅が半壊した鈴木正治さん(47)は「若い人がいないと活気が出ない。会社の若手は、ほかの市に引っ越してしまった」とこばした。

 なぜ若い人たちは、常総市を後にしたのか。実際に隣接するつくばみらい市に引っ越しをした男性(26)は「また、被害に遭うのが心配。買い物にも苦労したし、すぐに生活を立て直したかった」という。

 本石下地区の石下中央商店街は水害直後、商店街の通りは至る所に消毒用の石灰がまかれ、泥の付着が生々しく残っていた。現在は、きれいに片付けられ、表面上、爪痕は見受けられなかった。だが「きむら時計店」の木村郁乃さん(81)は「水害を機に店を閉める店舗も出て5店舗ほどが商売をやめた」と明かした。客足は以前に比べて落ちているという。

 災害は発生すると、その影響は長引き、人々を苦しめる。一体、どうすれば防げるのか。常総市では鬼怒川決壊当時、現場に避難指示が出ていないなど防災対応の混乱があった。今年も台風で北海道や岩手県に大きな被害が出る中、岩手県岩泉町で避難の呼び掛けが遅れ後手に回る対応が繰り返されている。

 国土交通省や常総市などは、鬼怒川の洪水を想定した情報伝達訓練を同市で実施。市内にいる人のスマートフォンや携帯電話に洪水情報が自動的に届く一斉メールの運用も始まった。

 常総市の神達岳志市長は今夏の市長選で「都心に近く、おいしいもの、楽しいものがあるから、常総市に行こうと思われるまちにしなければならない」というビジョンを示した。人が集まる方策として、空き家活用、民泊の推進などを掲げている。今後は、常総市に限らず、被災した市町村の首長らの復興へ向けた手腕が問われる。

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2016年10月4日のニュース