石巻で海苔をつくっているアベちゃんの味噌納豆の味と東日本大震災の記憶

[ 2016年9月1日 10:30 ]

味噌納豆は石巻の地酒「墨廼江」で

 【笠原然朗の舌先三寸】「味噌納豆が食べたい」というわがままを聞いてくれたアベちゃんは、次に店を訪れた時、メニューにしてくれていた。値段は150円。細かく刻んだ「いぶりがっこ」(秋田県のくんせいタクアン)と味噌を加えてよく練り込んだ納豆に、焼き海苔が添えてあった。

 「味噌は仙台の“長寿味噌”、海苔はうちの実家のです」

 宮城県石巻市出身のアベちゃんの実家が海苔の養殖をしているのを知ったのはたぶんその時。海苔に乗せた味噌納豆を肴に冷やした「あさ開」や「初孫」などの地酒が進む。

 アベちゃんは、東京・千代田区の神保町にあった立ち飲み居酒屋「やすじ」のマスター。昼は系列の有名カレー店の店長として働き、夕方から店に立つ。初めて会ったときは彼が都内の大学を卒業したばかりの23か24歳のころで、イケメンというより女性アイドルのようなかわいい顔と澄んだ目、シャイな笑顔が印象的だった。

 なにせ酎ハイが200円、たっぷり注がれた地酒が400~500円のセンベロ酒場だ。酒の安さと息子のようなアベちゃん会いたさによく足を運んだ。

 ほどなくして「やすじ」が閉店。半年ほどしてアベちゃんもカレー店をやめて石巻に帰り、“家業”を手伝うという。「石巻にお越しの折には是非…」。マスターと客の関係だが、好青年のその後が気になった。

 このほど石巻を訪れる機会があって約2年ぶりにアベちゃんと再会した。

 「20キロやせました」。センベロ酒場のアイドルは、日焼けして精かんな顔の27歳に化けていた。

 車で市内を一望する日和山に連れていってくれた。6月に訪れた南三陸町と同じく、いま目の前に広がっている光景から“震災前”が想像できない。パッチワークの模様のように点在する小さな空き地は生活の跡なのか。石巻市の発表では5月現在、震災で亡くなった市民は3181人、行方不明者419人。応急仮設住宅や民間借り上げ住宅で暮らす避難者がいまだ1万3626人いる。

 土地の空白が語りかけてくる物語に思いを馳せているとアベちゃんがポツリ。「僕もおばあちゃんを津波で亡くしました。駄菓子屋をやっていたんです。でも運のいいことにすぐ遺体が見つかりました」。初めて知った。

 海鮮丼の昼食を食べた後、アベちゃんはサン・ファン館近くの実家「明紘(めいこう)水産」へ案内してくれた。

 父親で社長は阿部明さん。アベちゃんの名前は「友紘」。父子の名前を一文字ずつとった社名。それを指摘すると「僕の名前はあとからですよ」。少し迷惑そうにアベちゃんが言った。

 現在、海苔の「種付け」の真っ最中。9月20日の解禁とともに種をつけた網を沖へ設置して来年の4月まで断続的に収穫する。“初海苔”は「気候にもよるけど35日後。俺は最高で13回収穫したことがあるよ」。目の前に広がる石巻湾を前に明さんが説明してくれた。海苔づくりが大好きなのだ。

 「僕は“家業”を継いだわけですが、いずれは企業にしたいと思っているんです。そのためには何をしなければいけないか、最近、考えるようになりました」。父親のそばを離れて、アベちゃんはそう話した。

 長い時間をかけて、震災で失われたものの空白はこうして埋められていくのだろう。(専門委員)

 <味噌納豆レシピ>納豆に細かく刻んだ「いぶりがっこ」(普通のタクアンでも可)と味噌(適量)を加え、よく練る。焼き海苔にのせて酒の肴に。好みでかつお節、うずらの卵などを加えて。もちろん、ご飯にかけてもおいしい。

 ◆笠原 然朗(かさはら・ぜんろう)1963年、東京都生まれ。身長1メートル78、体重92キロ。趣味は食べ歩き。

続きを表示

この記事のフォト

2016年9月1日のニュース