黒柳徹子“盟友”悼む「最後の一撃のような、永さんの死」

[ 2016年7月11日 15:54 ]

永六輔さんへの追悼コメントを送った黒柳徹子

 放送作家の草分け的存在で、作詞やタレントなどマルチに活躍した永六輔さん(享年83)をしのび、テレビの創世記から永さんと親交のあった黒柳徹子(82)が11日、追悼コメントを寄せた。

 全文は以下の通り。

永六輔さんとは、60年以上のお友達になります。
その間、1回もケンカをしたことありません。
「午後のおしゃべり」、「夢であいましょう」で、はじめて会いました。
「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」など、八大さんと作った名曲の頃
毎日、渥美清さん、坂本九ちゃん、演出の末盛さんとみんなで集まって、
面白いことを話しあっては、笑っていました。

永さんが、八大さんと世界中の日本人学校を訪問してるときは、
一行ですべてがわかる絵葉書をくださいました。日本中の旅をしたのは、
自分で見たり聞いたりしたことを、全国まわって、ラジオで伝えたかったからです。
テレビより、最後までラジオが好きでした。6月27日、足かけ40年以上続いた
永さんのラジオ番組が終わりました。
私も終わりのほうにかけつけて「永さん!ごくろうさまでした!」と叫びました。
私が呼びかけると、目を開けて笑ったりしていたそうです。

奥さんの昌子さんが亡くなって14年半、よく一人で頑張りました。
旅の名人でも、毎日旅先から何度も昌子さんに電話をしていましたから。
一人になって、私と結婚の話も出ましたが、主に、永さんからですが、
お互い昌子さんのようにはいかないと、わかっていました。
「ゆめ風募金」という障害をもった方達へのボランティアにも、
すごく力を入れていました。お葬式は、実家の浅草のお寺です。

亡くなる三日前と四日前にお見舞いにいきました。話しはできなかったけど、
私が「永さん!」というと、必ず、目を開けて私を見て、声を出して笑いました。

このごろ、お友達が亡くなって、本当に、最後の一撃のような、永さんの死です。

でも、生きてるもののつとめとして、当分、仕事、つづけます。
永さん、永いこといいお友達でいてくださって、ありがとう。
アフリカなんかで「上を向いて歩こう」と聞くと、
きっと、空を向いて涙がこぼれないようにすると思う。
昌子さんによろしく。

 黒柳徹子

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