氷室京介 深刻な難聴と戦う日々 もがく姿を見せなかったカリスマ

[ 2016年5月27日 08:11 ]

「LAST GIGS」で熱唱する氷室京介

 興奮が東京ドームを支配した。5月23日、ロックのカリスマ氷室京介(55)の「LAST GIGS」。幕開けとなったBOφWY時代の代表曲「DREAMIN’」で、全員がこぶしを突き上げ、大合唱するさまは、腹の奥底が熱くたぎる感覚を覚える迫力だった。

 この公演を最後に、ライブ活動引退を宣言していたことから、チケットは争奪戦に。氷室の姿がほとんど見えないステージ裏の席が急きょ開放されるなど、5万5000人もの観客が立すいの余地もなく立ち並ぶさまは壮観の一言に尽きた。

 この日なぜ、これほど人々は「氷室京介」という存在に熱狂したのか。

 洋邦問わず、高齢でも引退しないミュージシャンが多い中、比較的早い引退だからということもあるだろう。でも「最後のライブ」だからといって、あれほどの歓声を一身に浴びる歌手が今、ほかにいるだろうか。やはり、氷室京介は誰よりも「カッコイイ」ロックスターだったのだ。

 誰もがこぞってまねた髪形、ちょっとチャラい服装。陰のある立ち居振る舞い。手のひらを丸めてちょっと顔の前にかざすしぐさ、舞台上のモニタースピーカーに左足を乗せる姿。何よりも甘い高音を駆使した、色っぽい歌い方。これらはみな日本のロックミュージシャンの「ひな形」になっている。氷室がいなければ、後に一世を風靡(ふうび)することになるビジュアル系バンドは、存在しなかったかもしれない。

 最後の夜。汗をまき散らしながら35曲を歌い上げたその姿は、まぎれもなく「氷室京介」そのものだった。しかし実はその裏で、カッコ良く振る舞うどころか、曲をまともに歌えないほど、体の不調は深刻だった。

 引退を口にしたのは14年7月。そこから約2年を費やし、舞台から身を引く原因になった両耳の深刻な難聴を、少しでも改善しようと人知れずもがいた。在住する米ロサンゼルスでは名医にかかり、体力を従来以上に強化し、ハンデをカバーすることにも取り組んだ。「日本に来ている数少ない期間にも、いい耳の医者がいると聞けば、どんな遠方にも足を運んだ」と関係者は話す。

 でも、ファンにはそうしたもがきを一切見せることなく偶像であり続ける。ここが圧倒的に、突出してカッコイイのだ。

 この日も象徴的な場面があった。氷室が「こないだ、音楽仲間で焼き肉食いに行ったんだけど…」と話すと意外に思ったのか、客席からは笑いとどよめき。これには、さすがの氷室も「何笑ってんだよ…焼き肉くらい食うよ」と苦笑したが、それほど「氷室京介」とは我が国のロックスターのカリスマなのだ。

 BOφWYの解散からソロを経て、文字通り身を削りロックスターを体現した“ヒムロック”。その偉大な35年の足跡に心からの感謝と敬意を表したい。

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2016年5月27日のニュース