戸川昌子さん逝く 5年前に末期がん宣告も今年1月まで歌い続け…

[ 2016年4月27日 05:30 ]

90年、クリスマスディナーショーで歌う戸川昌子さん

 シャンソン歌手で推理作家の戸川昌子(とがわ・まさこ)さんが26日午前5時47分、胃がんのため静岡県内の病院で死去した。85歳だった。5年前に末期がんと宣告されながらも活動しており、入院直前までステージで歌い続けていた。多くの文化人らとの交流があり“恋多き女”として知られ、46歳での出産、60歳を過ぎてから離婚を経験するなど波瀾(はらん)万丈の人生だった。

 シャンソン歌手で長男のNERO(38)や関係者によると、戸川さんは胃がんを患いながらも積極的に歌手活動を続けていたが、1月ごろから背中などの痛みを訴えるようになり、下旬に都内の病院に入院した。その後、静岡県内の病院に転院。2週間ほど前に見舞った友人によると、以前より手足は細くなっていたものの、ベッドから自力で体を起こし、病院食を食べながら「東京に戻りたい」「フォアグラ食べたい」と話していたという。ただ、3日ほど前から容体が悪化。意識がない状態が続いていた。

 NEROはフェイスブックで「最愛の母、戸川昌子が今朝旅立ちました。最後までステージで歌い続け、戸川昌子の生きざまを最後まで貫いた立派な人生だったと思います」と母親への思いをつづった。関係者によると、NEROは急変の知らせを受け、病院に駆け付けたが、遠方のため臨終には間に合わなかったという。1月23日にフェイスブックに掲載された、帽子姿の戸川さんが最後の一枚となった。

 20代の頃から歌手として活躍していたが、デビュー小説「大いなる幻影」で江戸川乱歩賞を受賞。代表作「猟人日記」をはじめ、60~80年代は数多くの作品を世に送り出した。

 67年に東京・渋谷に開いたシャンソンバー「青い部屋」は、三島由紀夫氏や岡本太郎氏、寺山修司氏ら多くの著名人らが集まる人気サロンに。テレビにはトレードマークのカラフルに染めたド派手なアフロヘア姿で出演。深夜の名物バラエティー番組「11PM」などで毒舌コメンテーターとしてお茶の間の人気を博した。

 私生活は波瀾万丈。10歳以上年下のデザイナー男性と“通い婚”し、NEROを46歳で出産。当時の著名人の高齢出産と話題になった。遅くに授かった一粒種だけあり、その溺愛ぶりは有名。NEROが03年と06年に覚せい剤取締法違反(所持)などで逮捕された際には、世間から「甘やかしすぎ」と非難された。還暦を過ぎての離婚も経験した。

 10年に経営難のため「青い部屋」を閉店した後は、全国各地でコンサートやイベントを開催。主宰をNEROに引き継がせ、戸川さんは“ご隠居”としてステージに立っており、自分と同じ道を歩む息子が、一人前の歌手になるよう二人三脚で歩んでいた途中だった。

 ▼クミコ(戸川さんの後輩シャンソン歌手)戸川さんは「銀巴里」の偉大な先輩です。彼女は、その歌と生き方で、自由であることの素晴らしさ、力強さを教えてくれた人。天国でも、そのまま自由奔放でいてください。

 ◆戸川 昌子(とがわ・まさこ)1931年(昭6)3月23日、東京都生まれ。1950年代後半、東京・銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で歌手デビュー。歌手の傍らミステリー小説を執筆した。63年に「猟人日記」を発表し、翌64年に同作が映画化された際には、女優として出演した。

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