初来日時には奇声上げ、走り去る…ベールに包まれたプリンスさんの素顔

[ 2016年4月23日 08:50 ]

90年8月に東京ドームでコンサートを行ったプリンスさん

プリンスさん急死

 プリンスさんは気難しい性格で、レコード会社のプロモーター泣かせで知られた。質の高いアルバムを驚異的ハイペースで制作し続けながら、プロモーション活動はライブだけ。インタビューに応じることは珍しく「宣伝に協力してくれないから売りづらい」と漏らす声 をよく聞いた。作曲手法やルーツ、私生活など、多くはベールに包まれたままだった。

 そんな“殿下”が日本で一度だけ記者会見を開いた。1996年11月1日、東京の原宿クエストホール。カメラや録音機は持ち込めず、ペンとノートだけを許可。カバンを入り口で預け、ボディーチェックまで受けた。当時はレコード会社を移籍したばかりで、前レコード会社を「奴隷のような契約に縛られていた」などと批判。一方で「結婚しても自由で解放感は変わらない。妻はそういう存在」「スライ&ザ・ファミリー・ストーン、ジェームズ・ブラウン、マイルス・デイビスを聴いていた」と明かす一幕もあった。

 海外でのインタビューでは、紙にメモすることさえも認めなかったという。

 86年の初来日時には、成田空港で待ち構えた取材陣に驚き、ステッキを突きながら奇声を上げて逃げるように走り去った。これも日本で見せた数少ない私的光景だ。

 だがステージ上でのパフォーマンスは素晴らしく、横浜スタジアム公演で、終盤にヒット曲「パープル・レイン」のイントロが鳴ると、突然雨が降りだした。紫の照明で曲名通りの幻想的なステージになった。プリンスさんの神秘性がさらに高まった瞬間だった。

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2016年4月23日のニュース