日野美歌 戸惑いもあった「氷雨」人気 悲恋を歌うには若すぎて

[ 2015年12月27日 11:50 ]

多彩な歌手活動で輝き続ける日野美歌
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 「氷雨」のヒットで知られる日野美歌(53)が、新たな世界を見つけたようだ。戦後70年を機にリリースした「知覧の桜」には平和を祈る自身のメッセージを込めた。今では横浜の港を舞台にジャズを歌うこともある。演歌の歌姫を変えたものは一体何だったのだろうか。

 何かと酒席の多い季節。きっとマイクを手にこの歌を歌う人も多いはず。♪飲ませて下さい もう少し~。カラオケの定番ソングの一つ、「氷雨」。83年の大ヒット曲、もとは佳山明生(64)が歌っていた。それを追うように日野がリリース。2人の歌手が別々にレコード発売する競作は、それぞれの持ち味もあって双方とも人気となった。

 当時の彼女は、20歳そこそこ。デビューして1年もたたずして一気にスターダムを駆け上がった。それだけに戸惑いや人には言えぬ悩みもあった。

 「街を歩いていて、“あっ、歌手のあの人”なんて言われたりすると、もうどうしていいか分からなかった。ついこの前まで友達とディスコで踊ってたのに、それもできなくなるのかな。もとの生活には戻れないんだなんて考え込んでました。物凄いストレスでしたね。今なら何てことないのに」

 鎌倉に生まれ、湘南のサラリーマン家庭で育った。そんな歌手を夢見た一人の少女が突然、スポットライトを浴びたのだから無理もない。

 さらに、「氷雨」の歌詞。大人の女性の悲恋を歌うには、まだ若すぎたのかもしれない。コンサートに行く先々でファンから「あなた、ずいぶん苦労したのね」などと声を掛けられ、答えに詰まったこともあった。

 「私には何となくかわいそうな女性の歌ぐらいしか実感はありませんでしたから。どこか無理している自分にも気がついてましたね。分かったようなふりをして歌っていた時もありました」

 こんな気持ちとは裏腹。その年は紅白歌合戦にも出場。その後、2曲目のヒットとなったデュエット曲「男と女のラブゲーム」とも巡り合った。苦労話の多い演歌の世界では、まさに珍しいとんとん拍子。ところが、思わぬ落とし穴が待っていた。それはあまりにも「氷雨」のイメージが強すぎたことだ。

 「どんな番組に出ても結局は“氷雨”でしたからね。新曲を出しても歌わせてもらえない。一つの壁のようになってましたね。今はこの歌を歌っているんですと言ってもなかなか分かってもらえなくて、結構、つらい時もありました」

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