橘家圓蔵さん死去 81歳 黒縁眼鏡となぞかけで人気

[ 2015年10月16日 12:36 ]

10月7日に死去した橘家圓蔵さん(07年12月撮影)

 一般社団法人落語協会相談役の橘家圓蔵(たちばなや・えんぞう、本名・大山武雄=おおやま・たけお)さんが7日午前3時30分、心室細動のため死去した。81歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で執り行った。

 52年に七代目橘家円蔵に入門、橘家竹蔵を名乗る。65年に真打ちに昇進、三代目月の家円鏡(えんきょう)となった。60年代から80年代にかけて「ヨイショの圓鏡」と呼ばれ人気に。トレードマークの黒縁眼鏡、得意のなぞかけと軽妙な語り口で落語家としてだけでなく、テレビCM、映画、ラジオのDJなども務め、「うちのセツコが…」のギャグが大当たりとなった。

 78年の落語界内紛のときには、師匠の七代目円蔵らとともに一度は落語協会脱退を表明したが、定席を求めてすぐに協会に復帰。82年に八代目橘家円蔵を襲名した。「うまいのは(古今亭)志ん朝、(立川)談志は達者。だからアタシは面白い落語家を目指す」が口ぐせで、どこまでも面白さを追求した。
 
 最近では高齢のため、口調にきれがなくなり、3年前から高座の出演は控えていた。

 ▼三遊亭円歌さんの話 いつも誰かを喜ばせなくてはと考えている人だった。楽屋に入るとパーッと明るくなる。偉くなってもキャーキャー騒いでいた。そういう方はなかなかいません。落語は、聴いているうちに忘れてしまうことが多いが、お客さまが覚えて帰ってくれるはなしをするのが魅力です。亡くなってしまうとあの芸がなくなってしまう。それが残念です。ご冥福をお祈りします。

 ▼落語協会顧問の三遊亭金馬さんの話 ずいぶん会わなかったのでびっくりしている。テレビやラジオで忙しい時期もあったが、彼の落語は筋にこだわらない八方破れのところが面白い。お客も人情話ではなく、腹を抱えるほど笑わせてくれるのを期待した。その無鉄砲さが魅力だった。亡くなって寂しい。

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