矢口高雄氏 二度と描かないと決めた「釣りキチ三平」再開のワケ

[ 2015年8月14日 11:30 ]

「釣りキチ三平」の作者・矢口高雄氏

 激動の時代をペンで生きた著名漫画家にあすへの提言を聞く第2回は、「釣りキチ三平」の矢口高雄氏(75)。環境破壊の進む70~80年代、三平少年が美しい自然の中で巨大魚や怪魚に挑戦する姿は、多くの日本人にロマンを感じさせた。作品を支えたのは「自然と文明は調和が大切」という哲学だった。

 「釣りキチ三平」は高度経済成長終盤の1973年(昭48)に連載開始。三平はナゾの魚や巨大魚、ライバル釣り師に大胆なアイデアで挑戦。釣りを通して自然の素晴らしさ、人の温かさが描かれた。

 「日本初の釣り漫画だった。釣りがアクティブなスポーツだと知ってほしかった」

 戦後を走り続けた日本人が立ち止まり、ふと後ろを振り返った時代だ。

 「経済が右肩上がりの一方で、公害などさまざまな問題が噴出していた。自然は破壊され、人の心は荒れていたから、三平のような物語が求められたのかもしれない」

 故郷は物語の舞台さながらの山村。劇中の渓流や小川、わらぶき屋根は、少年時代の原風景だ。

 「春は野っ原でスカンポ(イタドリ)、山に入れば夏は桑の実、秋はブドウ、アケビが採れた。川ではヤマメを釣り、カジカを突いた。戦前も戦後も、ひもじい思いをした覚えがない。物資は乏しく、ズボンの下にパンツをはくような子供はいなかったけどね」

 農家の長男で、両親と祖父母、おば2人、妹4人と暮らす大家族。終戦時は5歳だった。

 「父も中国に出征していたが、村では働き盛りの大人が徴用され、何人かは遺骨で帰ってきた。夜空を飛ぶB29を何度か見た。爆弾は一度、山の中に落ちた。でも、焼け野原を経験した都会の人に比べれば、のほほんと育った」

 戦争の悲惨な記憶が薄い一方で、戦後の変化は衝撃的だったようだ。生徒会長を務めた中学時代が著書「蛍雪時代」に描かれている。

 「夏休みに盆踊り大会を開こうと決めた。歌詞を全校生徒から募集し、合唱部が曲を録音した。自分たちの創意工夫が、民主主義の中で生かされる体験に感動した。それが家ではガチガチの古い教育があり、長男は家を継げなどと言われる。したいことを自由にできないのかと、矛盾を感じながら育った」

 高校卒業後、地元の銀行に就職。趣味で漫画を描き続け、30歳になった70年(昭45)に退職。プロデビューした。

 「子供の時憧れた、手塚治虫になる夢が捨て切れなかった。妻子を地元に置いて上京した。必ず成功して東京に呼ぶつもりだった」

 幼い頃から親しんだ自然をテーマに多くの作品を描き、共感を呼んだ。だが、やがて物語と現実の矛盾を感じ始める。

 「三平がバンバン大物を釣り上げる一方で、現実の釣り場は遠く、汚く、狭くなっていく。僕の故郷もそう。農薬散布でホタルやトンボ、カジカが減ったと聞いた。でも農家は一生懸命、米を作らなきゃいけない」

 環境破壊は、人間が幸せを求める中で起きる。青春期までを不便な農村で過ごしたため、開発自体は否定しない。

 「故郷では丸木橋がコンクリートになり、河川は護岸工事が施され、文明文化の進歩の恩恵に幾らか浴していると、うれしくもあった。村にはバスも通らないのに、都会ばかり豊かになるのは不公平だと感じていた。小さな国土に、大勢の人が住む国。三平は自然と文明の調和を、どこで取るべきかを考えながら描いた」

 「三平」は83年まで10年続く長期連載となった。その後18年の空白を置き、01年に再開。不定期連載を続けている。

 「一度は描き切ったと思った。二度と三平は描かないと決めた。でも世の中は変わらなかった。自然は失われるばかり、子供のイジメもひどくなるばかり。もう一度、三平の出番かと思った」

 「三平」が必要なくなる時代は、来るのだろうか。

 ◇巨匠がこの夏お薦めの3冊

 ▼アドルフに告ぐ(手塚治虫)アドルフ・ヒトラーがユダヤ人の血を引くという機密文書をめぐり、アドルフという名の少年2人を含む“3人のアドルフ”の数奇な人生を追う。「日本が漫画大国となったのは、1人の天才のおかげ」と心酔する手塚後期の代表作

 ▼20世紀少年(浦沢直樹)主人公ケンヂが少年の頃、仲間とスケッチブックに書いた「よげんの書」通りに事件が起きる。「ケンヂは三平と同じ70年代に少年期を過ごした“同世代”と考えると興味深い」

 ▼かくかくしかじか(東村アキコ) 人気漫画家の半生を描いた“女性版まんが道”。「全部を言わないセリフ回しが、ツイッターのように続いていくのが面白い」。今年のマンガ大賞を受賞

 ◆矢口 高雄(やぐち・たかお)1939年(昭14)10月28日、秋田県増田町(現横手市)生まれ。58年に増田高を卒業後、羽後銀行(現北都銀行)入行。69年に「長持唄考」が漫画誌ガロに掲載され、70年「鮎」でプロデビュー。ツチノコを日本中に広めた73年「幻の怪蛇バチヘビ」、75年「マタギ」など、自然がテーマの作品を多く手掛ける。エッセー集「ボクの学校は山と川」は90年に教科書に漫画付きで採択。09年、地域文化功労者表彰。

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