「八月納涼歌舞伎」3部制は勘三郎さんの心配りで始まった

[ 2015年8月14日 11:00 ]

「八月納涼歌舞伎」のイベントで打ち水を行った(左から)扇雀、橋之助、七之助、勘九郎、巳之助

 盛夏の東京・歌舞伎座が沸いている。若手が中心の「八月納涼歌舞伎」である。中村勘九郎(33)、七之助(32)の兄弟、坂東巳之助(25)ら次代を担うフレッシュな顔ぶれがそろっている。盛り上がらないはずがない。

 演目は、踊りの名手と言われた、巳之助の父十世坂東三津五郎に捧ぐと銘打った「棒しばり」「芋堀長者」など故人にゆかりの作品が並ぶ。とくに「棒しばり」は、兄弟の父十八世勘三郎(12年に他界)と三津五郎が何度も再演した人気の狂言舞踊。初日前、「いつか2人で踊ってみたいと思っていたが、まさかこんなに早くやる日が来るとは思わなかった」と勘九郎。巳之助は「追善ということに気負うことなく、お客さんに楽しんでもらうのが大切」と話していた。その言葉通り、連日の熱演に劇場は満員、拍手の嵐だ。

 もともと「八月納涼歌舞伎」を始めたのは、勘三郎さん(当時勘九郎)と三津五郎さん(当時八十助)。1990年8月、「納涼花形歌舞伎」としてスタートした。それまでは、8月の歌舞伎は客入りが芳しくないとの理由で、歌謡ショーなどを行っていた。その頃の勘三郎さん、三津五郎さんは、舞台だけでなくテレビ、映画、CMなどに引っ張りだこで、お茶の間でもお馴染みのスター。若い女性ファンが急増し歌舞伎ブームを起こしたのも、この2人だった。女性誌や週刊誌でも歌舞伎の特集記事がたびたび組まれた時代でもあった。

 その絶好の機会を逃さなかったのが、勘三郎さん。ある日、楽屋で取材をしていると、こんなことを言い出した。「八月歌舞伎は、3部制にしたらいいんじゃないかと思うんだけど。どうだろう」。その理由を問うと「若いファンの人たちは朝から晩まではなかなか芝居を観たくても観ていられないでしょ。3部制なら夕方、仕事帰りに寄れるでしょ。料金も少し安くしてね」。確かこんなことを口にしていたと思う。歌舞伎興行は、今でも「昼の部」「夜の部」の2部制が基本。八月納涼歌舞伎だけが、3部制を採用しているのは、そんな十八世の心配りからである。

 その勘三郎さんは、後に野田秀樹とタッグを組んで「野田版 研辰の討たれ」「野田版 鼠小僧」など次々に話題の新作を上演。得意の「四谷怪談」などとともに、夏芝居を定着させた。

 今や彼らの息子たちの時代。劇場のどこからか、「しっかりやれよ」と父親たちの厳しくも優しい声が聞こえてきそう。そして、「よくぞ自分たちの意志を継いでくれた」と誰よりも喜んでいるのがきっと天国のこの2人だろう。(川田 一美津)

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2015年8月14日のニュース