米朝さん悲報から一夜…ざこば号泣「あんな凄い人はいない」

[ 2015年3月21日 05:30 ]

亡くなった桂米朝さんの思い出を語り涙ぐむ桂ざこば

 19日に89歳で亡くなった人間国宝で上方落語家の桂米朝(かつら・べいちょう、本名中川清=なかがわ・きよし)さんの悲報から一夜明けた20日、長男の五代目桂米団治(56)が大阪市内で会見した。最期の様子を「眠るようにあちらへ逝かれました。私は大往生やったと思います」と明かした。同席した兄弟子の桂ざこば(67)は号泣しながら「あんな凄い人はいない」と述べた。

 米団治はこの日午後、大阪市西成区の寄席「動楽亭」に出演。噺(はなし)のまくらで米朝さんが亡くなった経緯を説明し、「本当に大往生。さすが人間国宝」と詰め掛けたファンを笑わせた。そして、米朝さんが古い噺を再構成して仕上げた大作「地獄八景亡者戯」の前半を演じた。噺の中にも米朝さんを登場させるなど熱のこもった高座をやり遂げ、観客を沸かせた。

 午前中には記者会見。落語に生涯をささげた上方落語の大看板の最期について「私は大往生やったと思う」と話し「上方落語を大きくしてくれた師匠。息子として父に感謝の気持ちでいっぱいです」と振り返った。

 米朝さんが入院していた兵庫県伊丹市の病院から「血圧が下がっている」と連絡があったのは19日午後4時30分ごろ。出演していた動楽亭から急行し、ざこば、月亭可朝(77)、弟2人ら親族を呼んだ。約15人が見守る中、眠るように息を引き取ったという。

 09年以降、2度の脳梗塞を克服。14年夏、妻絹子さんを亡くしたショックも影響したのか、直後から入退院を繰り返していた。同11月6日の89歳の誕生日には一時帰宅。同秋と今年1月末には2度、危篤状態となった。最近の容体は比較的安定していたという。

 別れを覚悟していたのか、米団治は時折笑顔も浮かべた。存続の危機にあった上方落語界を再興した父について「功績は偉大すぎます。私一人で背負えるものではありません。だからこそ多くの弟子を残したのだと思う」と結束を強調した。

 対照的に、筆頭弟子のざこばは号泣。何度も天を仰ぎ「1月の時も、もう無理やなというところから持ち直したから今度も、と思ってましたら、血圧が下がり、呼吸も弱くなって…。泣くかいな、と思ったのですが…」とおえつを漏らした。「きのう(みとった時)は泣かなかったんですが、こないに、こないにきれいに亡くなるとは。師匠、お疲れさん」と声を振り絞り「あんなに凄い人はいない。(本人は)“もっと凄い人がいる”と言うだろうが、私はいないと思う」と言い切った。

続きを表示

この記事のフォト

2015年3月21日のニュース