久保田利伸 パイオニアの矜持「流行は乗るものじゃない、つくるもの」

[ 2015年3月3日 10:30 ]

日本のR&Bシーンをけん引する久保田利伸。失礼にも鼻歌をお願いしましたが、快く応じてくださいました

 日本にブラックミュージックを広めたパイオニアといえば、久保田利伸(52)だ。1986年のメジャーデビューから約30年、いちずにその音楽性を貫いている。徹底してブラックミュージックにこだわるのと同様に、プライベートでも強いこだわりを持つ。独特な気質を明かしてくれた。

 日本人離れした濃い顔立ちに、アフロヘア。ただならぬ“大物オーラ”を漂わせた男がインタビュールームに入ってきた。キング・オブ・ブラックミュージックだ。恐る恐る「よろしくお願いします」と頭を下げると、「おっ、剛毛だねぇ。アフロが似合うぞ」といたずらっぽい笑みを浮かべ、視線をこちらの頭部に向けた。近寄りがたいイメージだったが、意外なほどフランクだ。

 R&Bをはじめ、ファンク、ソウル、ヒップホップなどのブラックミュージックを日本に幅広く浸透させた草分け的存在。ブラックミュージックには中学1年で興味を抱き、いちずに愛し続けている。プライベートでも、そういったこだわりはあるのか聞いてみた。

 「へそ曲がりに思われると残念だけど、流行に乗らないこと。これにこだわっている。自我に目覚めた小学生のころから今日に至るまでずっと。流行にだけは乗らない」

 エピソードをいくつか聞いた。

 (1)携帯電話 5~6年前に初めてガラケー(ガラパゴス携帯電話)を買った。東京都内で一番遅く持ち始めたんじゃないか(笑い)。だからメールをするのもいまだに遅い。最近、スマートフォンに替えたけど、アプリはまだ自分で買えない。

 (2)パソコン これは早かった。マッキントッシュを92年に買った。音楽作りに凄い便利でね。当時は凄くかさばるパソコンで、世間的にはまだ普及していなかったけど、米国の知り合いから「便利だ」って聞いていち早く買ったんだ。

 (3)学生服 学生のころ、格好つけるヤツらはみんな長ランだった。だから僕は短ラン。(地元の)静岡県で一番早く着た男じゃないか(笑い)。近所の学生服店が僕を見て短ランを売りだしたほどだよ。

 (4)髪形 高校時代からアフロだった。当時、強がるヤツらはそり込みを入れたアフロだったけど、俺はそり込みは入れなかった。それがヤンキーアフロとソウルアフロの違いだ。

 その時代、時代であえて流行に乗ろうとしないのが印象的だ。

 携帯電話は仕事などの関係で持たざるを得なくなったが、世間がガラケーからスマホに買い替えを始めているころ、持ってさえいなかった。一方で、世界的にITバブルを迎える98~00年よりもだいぶ前にパソコンを購入。しかも、選んだ機種は当時主流だったマイクロソフト社製ではなく、現在人気のアップル社製のマッキントッシュだった。短ランのエピソードも、周囲とあえて逆の格好をするあたりにも、ハートの強さを感じさせる。

 「流行は乗るものじゃなくて、つくるものだ。姉が2人いたから実は流行には敏感だった。流行を知っているからこそ、あえてその先を行きたいと考えるようになった。要は目立ちたがり屋。一目置かれるのが何より気持ちがよくてさ」

 ブラックミュージックに傾倒したきっかけも同じだ。周囲がベイ・シティ・ローラーズやクイーン、KISSらアイドル的な人気を集めた英米のロックグループに熱中する中、久保田はスティービー・ワンダーらの歌に引かれた。渋い!

 「他人と違うものということが発端でブラックミュージックに触れ始めた。でも、聴き込めば聴き込むほど、他の音楽に比べて地球一に歌がうまい人たちが歌っている音楽に聴こえた。それでどんどんはまっていった」

 デビュー当時はブラックミュージックで、久保田ほど爆発的に売れている邦楽アーティストはいなかった。それが主流になったのは90年代半ば以降。

 「ポップスとしてのR&Bに、MISIAや宇多田ヒカルが出てきた。特にたまげたのは(姉妹デュオだった)DOUBLE。米国のラジオで流れてもいいぐらい本格的だった。ほかにも平井堅とか。孤独から解放された喜びがあったね」

 孤高の存在だった久保田の功績は大きい。今でも多くの歌手に影響を与えている。

 18日には約3年半ぶりのアルバム「L.O.K」が発売される。こだわったのは「こだわらないこと」だ。「これまでなら、こんな歌詞は格好悪いというものも平気で表現した」というが--。

 ♪誰よりもずっと痛みに弱い 忘れちゃないけど止まらない(「Honey Trap」)

 「痛みに弱いのに、この先、恋の痛手を負うかもしれない。でも行ってしまえという歌。いつもなら、痛みに弱いなんて格好つけて歌詞にできない」

 ♪何度も吹き消した炎 胸にまた Came back(「Tiny Space」から)

 「ジェラシーの歌。僕はヤキモチと嫉妬がこの世で一番嫌い。でも実際に恋に落ちると、どうしても妬(や)いてしまう。以前ならこんなこと書かなかった」

 こうした余裕が生まれた要因には、音楽界で確固たるポジションを築いてきたという自負がある。

 「長くやってきて、自分がどんな言葉を言っても、どんな音楽をやっても、誤解されないと思い始めた。デビュー間もないころは、誤解されないように壁をつくったりしたけど、もうそろそろそういう必要もなくなった」

 「Missing」「LA・LA・LA LOVE SONG」などは今も多くの人たちに歌い継がれている。「壁」を取っ払ったことで、さらなる名曲輩出に期待が高まってきた。

 ≪来月からツアー≫来月24日から全国ツアーがスタート。5月23、24の両日のNHKホール公演など、7月28日まで計41公演を予定。さらに9月26、27の両日に大阪城ホール、10月3、4の両日に国立代々木競技場第1体育館での公演も決まっている。

 ◆久保田 利伸(くぼた・としのぶ)1962年(昭37)7月24日、静岡県生まれ。野球で甲子園出場を目指して強豪、静岡商に入学も野球部を2年生の秋に退部。音楽のプロになるために上京するのが目的で駒沢大学へ。軽音楽部に入り、アマチュアコンテストなどで優勝、音楽業界の注目を浴びた。89年のベスト盤「the BADDEST」はミリオンヒット、90年にNHK紅白歌合戦に初出場。

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