張本勲氏 東映つながりで親交 「広島弁指導させてもらった」

[ 2014年12月2日 07:35 ]

張本氏

 突然の訃報にびっくりしている。文太さんとは東映つながり(注1)で親しくさせていただいた。初めてお会いしたのは文太さんが松竹から東映に移籍されてからだから50年近く前になる。私の方が7歳下ながら「文ちゃん」と呼ばせていただいた。

 「仁義なき戦い」の撮影が始まる時には「ちょっと来てくれ」と呼び出された。16歳まで広島で育った私に広島弁をチェックしてくれというのだ。語尾の上げ下げを指摘させてもらったのを覚えている。私の現役引退後にはやはり東映の映画「修羅の群れ」に兄弟分の役で共演。撮影所のある京都でよく一緒に食事をしたり飲んだりさせてもらった。

 戦前・戦後の苦労をされ、言葉の少ない素朴な昭和の男。ご長男を亡くされたのが相当なショックで、それ以来少し人が変わったかなあ。飛騨高山に住まれていた時に「ホタルがきれいだから見においでよ」と誘っていただきながら、実現できなかったのが今となっては残念でならない。あと10年は生きていてほしかった。(本紙野球評論家)

 <注1>張本氏は59年に浪商(現大体大浪商)から東映フライヤーズ(現日本ハムファイターズ)に入団し、主砲として活躍。

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