ジョニー大倉さん死去…キャロル愛憎40年、矢沢と和解ないまま

[ 2014年11月28日 05:30 ]

今年4月に復活ライブを行い、ファンの前で熱唱したジョニー大倉さん

 70年代の伝説的ロックバンド「キャロル」の元メンバーで歌手のジョニー大倉(じょにー・おおくら、本名大倉洋一=おおくら・よういち)さんが19日午後5時56分、肺炎のため東京都渋谷区の病院で死去した。62歳。神奈川県出身。葬儀は親族のみで行う。昨年5月に肺がんの宣告を受けて以来闘病していた。同じくキャロルで活動した矢沢永吉(65)は「非常に残念」とのコメントを出した。

 所属事務所によると、昨年5月に「余命2週間」と宣告されたが、抗がん剤治療を続け、今年4月にはライブを行うまでに回復。しかし8月に再び悪化した。10月中旬から併発していた肺炎により、息を引き取った。妻の真理子さん(61)や息子2人、親族にみとられながら安らかな最期だったという。後日、お別れの会を予定している。

 矢沢は今月26日の広島公演後、次のツアー開催地の大阪に入ったタイミングで悲報に接した。所属事務所を通じ「非常に残念です。心からお悔やみ申し上げます」とのコメントを発表した。関係者によると、ジョニーさんの入院、闘病について「(矢沢は)把握していたと思う」としたが、入院中見舞いに訪れたり、電話や手紙で交流を持つことはなかったという。

 簡潔なコメントの背景には、キャロル時代から約40年間にわたる恩讐(おんしゅう)がある。デビューから11カ月を経て人気絶頂期の73年11月、ドラッグに依存していたジョニーさんはツアーを放り出し失踪した。発見されたのは約2カ月後、川崎市の病院。矢沢は激怒し、崩壊したバンドはわずか約2年半で解散を余儀なくされた。

 別々の道を歩んでからも、ジョニーさんは雑誌などを通じ「俺たちはバックバンドじゃない」などと一方的にキャロル時代の不満をぶちまけ、矢沢は一切相手にしない状態が続いた。

 2人は75年4月の解散後、1度だけ会っているとされる。ここでの感情の行き違いが一因となり、数十年も没交渉状態に。「ビッグ」を追い求めた矢沢に対し、我が道を突き進んだジョニーさんは商業的には苦戦。晩年は、それまで付き合いのあった芸能人とも疎遠になっていたという。

 約200人の客を前にした4月のライブでは「僕の知り合いの誰かは5万人を呼べたというが、僕は500人でも50人でも変わらない。歌の心があるから」と、最後まで矢沢を意識した発言を繰り返した。一方で「価値観の違いは相いれなかったけど、強い友情で結ばれていた」などと思いを明かしたこともある。

 心の底では望んでいたはずの雪解け。その日は結局訪れなかった。

 ジョニー大倉 1952年(昭27)9月3日生まれ。ベースの矢沢、ギターの内海利勝、ドラムスの今井茂利(デビュー前に脱退)とキャロル結成。ドラムスはその後、ユウ岡崎に。解散公演で親衛隊を務めた「クールス」には舘ひろし、岩城滉一がいた。

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