故郷を愛した九州男児 次回作も阿蘇が舞台「何とかもう一本…」

[ 2014年11月19日 06:30 ]

10日に亡くなった高倉健さん

高倉健さん死去

 福岡県中間市出身の高倉健さんは故郷をこよなく愛した。寡黙で律義、骨っぽい性格は幼少時代に培われたものだ。海外と行き来する貿易商に憧れたが、縁あって飛び込んだ映画界。遺作「あなたへ」のラストシーンが門司港で撮影され、健さんは「感無量」と語っていた。

 海軍の軍人から炭鉱労働者を束ねる仕事に就いた武骨な父と、学校の先生をしていた優しい母。そんな両親からたっぷり愛情を注がれて健さんは育った。

 兄と妹2人の4人兄妹。少年時代は肺を患うなど病弱だったが、母親の献身的な看病で日増しに健康になっていった。その頃の夢は船乗り。中1のときに密航をくわだてるなど、向こう見ずなところもあった。

 14歳で終戦。駐留米軍が上陸してくると英語に興味を持った。本紙の取材に「(進学した)東筑高校で英語部をつくり、明治大学では相撲部のマネジャーをしながら貿易商を目指した」と明かした。

 ところが当時も就職難。食べていくため、知人の紹介で芸能プロダクションのマネジャーの面接を受けに行くと、たまたまその喫茶店にいたのが東映の専務。スカウトされて「東映ニューフェイス」になった。

 不世出の大スターになったが、健さんは「高倉少年」を育んだ故郷を忘れたことは一度もなかった。2011年11月、「あなたへ」の門司港ロケで、「少年の頃、ここで船の行き来を見ていたものです。感無量ですね」としみじみ話していた。

 来年3月に予定された新作も熊本県阿蘇が舞台だった。「何とかもう一本、九州の大地に立たせてあげたかった」と映画関係者も惜しんでいる。

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2014年11月19日のニュース