“りえママ”光子さん “一卵性母娘”、一時は確執も孫の誕生喜ぶ

[ 2014年9月25日 05:30 ]

94年、プロ野球の巨人戦を観戦する宮沢光子さん(左)とりえ

 女優の宮沢りえ(41)の母親で、所属事務所代表取締役の宮沢光子さんが23日に死去した。65歳。

 光子さんは、女手一つでりえを育て、芸能界の実力者が集まる東京・六本木の飲食店に出入りし、りえを芸能界に売り込んだ。りえが11歳で芸能界入りすると、剛腕マネジャー、プロデューサーとして支え、“りえママ”の愛称で、芸能界だけでなく、広く社会で有名になった。りえとは“一卵性母娘”と言われるほど仲が良く、りえのヌード写真集発売など、話題作りでも注目された。

 一方、りえが93年初場所後に大関に昇進した貴ノ花(現貴乃花親方)との婚約を解消した背景には、光子さんの言動が影響したとも言われた。その後、りえが激やせするなどスキャンダルもあり、一時は母娘の確執が伝えられた。

 それでも、りえは当時、スポニチ本紙のインタビューで「母のような自分の価値観を貫く女性になりたい」と特別な思いを明かした。09年に妊娠した際は、光子さんが離れて生活していたパリから駆け付け娘の妊娠を喜んでいた。りえは実業家の夫と離婚協議中。

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