「炎の料理人」周富徳さん死去 「料理の鉄人」で独創的メニュー披露

[ 2014年4月14日 05:30 ]

「料理の鉄人」で活躍した周富徳さん

 「炎の料理人」として知られた中華料理人、周富徳(しゅう・とみとく)さんが8日午後11時37分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため横浜市内の病院で死去した。71歳。横浜市出身。葬儀は近親者で行った。喪主は長男志鴻(しこう)さん(46)。料理人仲間からも早すぎる死を悼む声が相次いだ。

 関係者によると、周さんは昨年8月に肺炎のため入院。今年2月に退院したが、翌月に病状が悪化したため再入院し、そのまま帰らぬ人となった。オーナーシェフを務める東京・青山の中国料理店「広東名菜 富徳」の従業員は「非常に優しい人でした」と話した。

 両親は中国広東省の出身。横浜中華街で料理人の父親の仕事を見て育った。高校卒業後から料理人として修業を重ね、91年に東京・赤坂「璃宮」の総料理長に。独立後は自ら経営に乗り出した「富徳」が評判を呼んだ。

 軽妙なトークと手際のいい調理法が評判となり、NHK「きょうの料理」などテレビ番組の講師も担当する一方、フジテレビのバラエティー番組「料理の鉄人」では独創的な中華料理を披露。90年代にはテレビ東京系バラエティー番組「浅草橋ヤング洋品店」に同じ中華料理人の弟・富輝さんとともに出演するなど、タレントとしても幅広く活躍した。だが、2000年に関連会社2社による申告漏れが発覚するとお茶の間から離れ、全国で講演活動を続けていた。

 ◆周 富徳(しゅう・とみとく)1943年3月11日生まれ、横浜市出身。高校卒業後、18歳で東京・新橋の中華飯店に入り料理の修業を積む。京王プラザホテル、聘珍樓などを経て青山の「富徳」を経営。95年には堂本光一(35)主演で半生記がドラマ化された。「周富徳の広東料理は野菜がうまい」など著書多数。

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