意外?細身の松重豊 力士になりたかった!名前の由来も大関から

[ 2013年11月17日 19:45 ]

大相撲九州場所中継にゲスト出演した松重豊

 俳優の松重豊(50)が17日、NHKの大相撲九州場所中継にゲスト出演。好角家トークを展開した。

 幼少時から最も好きで追いかけた力士が、1970年代に活躍した元小結の2代目・豊山(元湊親方)。「(自身の)命名の由来をどうも親に聞くと、先代の豊山関(元大関)」といい、幼稚園の時、キャラメルを配りに来た力士に「ビビッと来たんですね。いいな、相撲って」。その後、2代目が「長浜」から四股名を「豊山」に変え「ここもビビッと来ちゃいまして。これは応援するしかないということで、必死でずっと応援し続けたんです」と自身との関係を語った。

 豊山の魅力については「真正面からぶつかって、正攻法の相撲を続けてらして。あの当時で珍しいくらい四股がきれいなんですね。あんなきれいな四股を上げる力士は他にいなかった」と熱弁。豊山は大学時代から横綱・輪島とライバル。「時間前のにらみ合いとか、本当にすごい火花を散らしていましたね」。1977年(昭52)秋場所、豊山が輪島を寄り切ったVTRを見て「左を取らせませんでしたね。素晴らしいですね~」と満面の笑みを浮かべた。

 「相撲にかじりついている時間が一番、楽しかった。お相撲さんにもなりたいな、みたいなことも思っていたんですけども。身長は中学3年で(1メートル)87ぐらいありましたんで」と振り返ったが、柔道に取り組んだ。

 中学3年の77年、九州場所。相撲雑誌で豊山との対談企画を目にし、ハガキを書きまくって、当選。力士になりたい気持ちを「このまま連れて行ってもらってもいいかなというぐらいの気持ちで」伝えたが、豊山から「君ね、高校行って、大学行って、ちゃんと勉強して、それから、お相撲さんになりたかったら、おいで」と言われたという。「その時、連れて行かれたら、もしかすると…という道になっていたかもしれませんし。俳優になったのも、豊山関のおかげかなという気持ちもあります」と懐かしげに語った。

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2013年11月17日のニュース