佐藤浩市“息子の涙”…「三国連太郎と佐藤政雄」と最後の別れ

[ 2013年4月18日 06:00 ]

三国連太郎さんの告別式で涙をにじませ、あいさつする佐藤浩市

 急性呼吸不全のため14日に90歳で死去した俳優の三国連太郎(みくに・れんたろう、本名佐藤政雄=さとう・まさお)さんの葬儀・告別式が17日、静岡県沼津市の自宅で営まれた。近親者による密葬として行われ、約30人の親族のほか女優の浅田美代子(57)らが参列。喪主を務めた長男で俳優の佐藤浩市(52)は、複雑な思いを抱き続けた父親に最初で最後の涙を浮かべて別れを告げた。

 最後の別れの出棺時。「三国連太郎」と刻まれた位牌を手にした三国さんの妻佐藤友子さん(63)とともに並んだ浩市。隣には高校生の長男と妻の亜矢子さんがいた。

 三国さん死去を発表した15日の会見では「悲しいという思いはなかった」と淡々と話したが、この日は涙を浮かべ、時折言葉を詰まらせながらあいさつ。取材陣を前に「三国連太郎と佐藤政雄、両名の葬儀・告別式を無事執り行うことができました」と報告した。

 幼少のころに母親と離婚した三国さんとは確執があり、俳優になってからも父親を「あなた」「三国さん」と他人のように呼んでいた。15日の会見時も「三国連太郎のまま逝く」と表現していた中、最後にあえて本名の「佐藤政雄」としても送り出したところに、完全に拭いきることができなかった父親への思いがあふれ、涙となってこみ上げているようだった。

 前日16日は主演ドラマの撮影に参加したため、通夜に間に合わなかった。浩市は「撮影を休むことが、故人の遺志に沿うとは思えなかった」と仕事一筋に生きた父の思いを継ぎ、撮影を優先したことを明かした。

 その撮影現場で「三国は、もう一度現場に立ちたいとどれだけ思っていただろう」と考えたと説明。三国さんから「お前、今日のことを思い出してみろ。そうしたら雑な芝居も不遜な芝居もできないだろう」と言われた気がしたといい「最後にまた三国連太郎に教えられた思いがします」と一言ずつ、かみしめるように話した。

 「役者・三国連太郎」を貫き通した父親。その背中を追い続けてきた浩市は「きっとあちらの世界でも映画を撮り続けるでしょう」と思いをはせていた。

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