親交50年以上 悲報に橋幸夫沈痛「天から力授けて」

[ 2013年1月20日 06:00 ]

納谷さんと50年以上の親交があった橋幸夫

元横綱・大鵬さん死去

 昭和を代表するスターだった元横綱・大鵬の納谷幸喜さんの悲報に、日本中から惜しむ声が上がった。1961年(昭36)に雑誌で対談して以来、親交があった歌手・橋幸夫(69)は「とにかくきれいな横綱でした」と悼んだ。

 61年の対談は雑誌「平凡」で実現。共通の友人で、銀幕のトップスターだった故市川雷蔵さんが間に入り「天下の美男子、青年大関の大鵬さん」「橋くんは、さしずめ歌謡界の新大関」と紹介した。

 橋は前年の60年、17歳で「潮来笠」でデビューした。日本は高度経済成長下。納谷さんは入幕2年目にして横綱昇進を目前にした角界の大スターだった。

 相撲好きの父親の影響で、少年時代から好角家だった橋は「会う前は、憧れが非常に大きかった。とにかく体が大きかった」と振り返る。納谷さんからは「ワシより相撲の話に詳しいな」と持ち上げられた。以来、2人は親交を深め、主に仕事を通じてたびたび交流を持った。

 東海道新幹線開通、東京五輪など列島が活況に沸いた昭和30年代後半、橋は吉永小百合とのデュエット「いつでも夢を」など大ヒットを連発。「御三家」の一人として、若手歌手トップの座に就いた。納谷さんもまた“柏鵬時代”の真っただ中。「当時は相撲人気が絶頂だった。僕も人気があったがそれ以上」と話し「いくら仲が良くても、2人で飲みに行くなんて、とてもとても。ファンに押しつぶされちゃう」と当時のフィーバーを回想。「相撲界を完全に新しく変えたと言っていいほどインパクトのある人だった。とにかくきれいな横綱で、私もすっかり魅了されるほどでした」としのんだ。

 年賀状を交換するなど交遊は続いた。「白鵬関が大関になったくらいの頃、“なかなか頑張ってるんで、角界を引っ張ってほしい”と、強く語っていたのが印象に残っています」。最後の対面は10年2月、白鵬の挙式。「また会いましょうよ、なんて話していたんですが…」と悔やみ「外国の力士が強い今の相撲界に一抹の思いはあったのでは。相撲界を盛り上げるよう、天から力を授け続けてほしい」と悼んだ。

 ▼やくみつる氏(漫画家)横綱になったのは私が2歳のときで、理想の力士像といえば大鵬さんだった。不滅のイメージがあり、亡くなったと聞いても信じられない。何度かお会いした際には車椅子に乗っているなど全盛期の姿ではなかったが、やはり醸し出すムードは独特で容易に近づけなかった。角界は現在でも八百長などの不祥事から完全に立ち直ったとは言えず、これまでも新聞などで角界のために厳しい意見を寄せていた大鵬さんには、もっともの申してほしかった。非常に残念です。

 ▼高橋はるみ北海道知事 たゆまない努力と不屈の精神で史上最多の32回の幕内優勝を飾るなど、私たち北海道民に幾度となく大きな希望と感動を与えてくれた。

 ▼杉山邦博氏(元NHKアナウンサー)相撲界最高の宝をなくし、大きな穴があいた感じで寂しさを通り越して残念だ。大相撲を繁栄に導いた最大の功労者。「十分の体勢」に持ち込んで決めるから実況しやすい横綱だったが、インタビューの際には寡黙でアナウンサー泣かせだった。「おかげさまで」という言葉を非常に大事にした。攻めと守りを兼ね備えた、他の追随を許さない大横綱だった。引退後、日本相撲協会の理事長になれなかったのが残念だ。

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2013年1月20日のニュース