勘三郎さん“最後のお練り” 新歌舞伎座に一番乗り

[ 2012年12月28日 06:00 ]

中村勘三郎さんの遺骨を手に歌舞伎座を後にする(右から)勘九郎、七之助、好江夫人

 5日に急性呼吸窮迫症候群のため57歳で死去した歌舞伎俳優の中村勘三郎さんの本葬が27日、東京都中央区の築地本願寺で営まれた。長男の勘九郎(31)ら遺族は遺骨を胸に抱いて、勘三郎さんが愛した浅草から築地までゆかりの地を巡り“最後のお練り”をした。来年4月に新開場する歌舞伎座にも“一番乗り”をし、勘九郎は「父も一番喜んだはず」と話した。“ミスター歌舞伎”との最後の別れに計1万3000人が駆け付けた。

 “最後のお練り”は浅草の隅田公園から出発。勘三郎さんが今年5月まで公演を行っていた「平成中村座」があった思い出の地。法被を着た地元商店街の関係者や芸者衆ら700人以上が集結。遺骨を抱いた勘九郎や次男の七之助(29)らが到着すると「中村屋!」「日本一!」などの声援が次々に飛んだ。

 勘三郎さんが生前に中村座で担いだ浅草・三社祭のみこしも出て、地元の人たちが「ワッショイ!ワッショイ!」と威勢のいい掛け声で担いだ。勘九郎と七之助は涙をこぼしながら見守り、妻好江さんと、勘九郎の妻で女優の前田愛(29)もその後ろで目頭を押さえた。最後は三本締めが行われ、浅草を愛した名優をにぎやかに見送った。

 続いて、歌舞伎の興行主の松竹本社(築地)や、勘三郎さんが何度も舞台を行った新橋演舞場(銀座)に立ち寄った。改築工事中の銀座の新歌舞伎座では、勘三郎さんが来年4月のこけら落としで立つことを切望していた舞台を見せた。昨年10月、義父の中村芝翫(しかん)さんが亡くなった際にも息子の中村福助(52)らが遺骨を手に建設現場を訪れたが、舞台ができあがった劇場には勘三郎さんが役者で“一番乗り”。場内では現場の建設関係者や舞台スタッフら約150人が並んで出迎えた。

 勘九郎らは、まだ足場が組まれた状態のロビーを通って、建設途中である客席の後方へ。しばらくの間、遺骨とともに舞台を眺め、亡き父の最後の夢に思いをはせた。

 劇場前にはファン約200人も集まり、見送りの際には涙を流す人も。勘九郎らは深く頭を下げ、計7・5キロのお練りを終える葬儀会場の築地本願寺へ向かった。

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