「小沢昭一的」通夜 式場は生前から決めていた「ここだな…」

[ 2012年12月15日 06:00 ]

祭壇の小沢昭一さん遺影

 10日に前立腺がんのため83歳で死去した俳優の小沢昭一(おざわ・しょういち)さんの通夜が14日、東京都新宿区の千日谷会堂で営まれた。生前、死を覚悟した小沢さんが心に決めていた式場だった。親交のあった女優の黒柳徹子(79)、放送タレントの永六輔(79)ら約850人が参列し、マルチな才能を発揮した小沢さんの死を惜しんだ。

 たばこをくゆらせ、ニヒルな表情を浮かべた遺影に「バイバイ」というように手を振った黒柳は、「いいお友達でいてくれて、笑わせてくれてありがとう。心の整理がつかない」と涙ぐんだ。

 NHKのコメディードラマ「若い季節」(61~64年)で共演して以来、50年以上の付き合い。7日には故森光子さんの本葬で弔辞を読んだばかりで、「向こうに逝く人が多くなる。一日一日を大事に生きていかないといけない」と目を伏せた。

 98年に前立腺がんが見つかり、10年には頸椎(けいつい)に転移。入退院を繰り返しながら放射線治療を受けていた小沢さん。73年から務めていたTBSラジオ「小沢昭一の小沢昭一的こころ」での元気な声とは裏腹に病気と闘っていた。

 生前、お別れの場所を決めていた。車で千日谷会堂の前を通った時、同乗していたマネジャーの津島滋人(しげと)さんは「ここだな…」とつぶやいたのを聞いていた。「時期は覚えていませんが、闘病中のことでした。その言葉をはっきりと覚えています。とても理由などは聞けませんでした」。津島さんは小沢さんの遺志をくみ、この場所を選んだという。

 棺には「小沢昭一の小沢昭一的こころ」の次回収録予定だった台本や好きだったハーモニカ、舞台の台本、レコード「日本の放浪芸」、家族の写真などが納められた。会場には「東京ラプソディ」など小沢さんが歌う昭和のヒット曲が流れていた。

 戒名は洽昭院澹然一哲居士(こうしょういんたんねんいってつこじ)。洽(あまね)く世の中に培った見識を、ユーモアや優しさをもって伝え続けたなどの意味という。

 葬儀・告別式は同所で15日午前11時から営まれる。麻布中学校時代からの友人で俳優の加藤武(83)、親交の深かった社会学者の加藤秀俊氏(82)が弔辞を読む。

 ▽主な参列者 加藤武、毒蝮三太夫、穂積隆信、中村メイコ、吉行和子、生島ヒロシ、山口崇、松本源之助、桂米団治、林家正蔵、林家三平、露木茂、長峰由紀(以上タレント、アナウンサーら)河野洋平(元衆院議長)矢野誠一(評論家)篠田正浩(映画監督) 順不同、敬称略

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