松居一代悼む 藤本義一さんは「神様のような人」

[ 2012年11月1日 06:00 ]

日テレの「11PM」で司会を務め、人気を博した藤本義一さん。左は松居一代(松居一代事務所提供)

藤本義一さん死去

 直木賞作家で司会者としても活躍した藤本義一(ふじもと・ぎいち、本名ふじもと・よしかず)さんの死去から一夜明けた31日、統紀子(ときこ)夫人(77)が取材に応じ、藤本さんが中皮腫を患っていたことを明かした。司会を務めた伝説の深夜番組「11PM」の出演者たちから急死を惜しむ声が続々と寄せられ、松居一代(55)は「神様のような人だった」と悼んだ。

 松居は「私が今、芸能界にいるのは先生のおかげ。右も左も分からない私にすべてのことを指導してくれた」と感謝しきりだった。

 79年、「11PM」で芸能界デビュー。藤本さんのアシスタントとして並んで画面に登場すると、「あの美人は誰?」と話題になり、その後、女優として映画、ドラマで活躍するきっかけとなった。番組は85年で卒業したが、親交は続いていた。

 97年、水漏れが原因で自宅マンションの天井が落ちる事故が起き、落ち込んでいた時、「うらやましい、空からネタが降ってくるなんて。これで本も書けるし、講演もできる。しばらく飯が食えるぞ」と電話で励まされたという。松居は「これが藤本流の愛情なの」と振り返り、「逆境を好機に捉えるのは先生の教え。おかげで何でも乗り越えられるようになった」と続けた。著書が発売されるたびに電話があり、長いときは1時間半、「俺ならこう書く」と添削してもらった。公私で支えてもらい「神様のような人だった」と話した。

 同番組で藤本さんと日替わりで司会を務めた大橋巨泉(78)は「残念です。同期生だし、同じ11PMでテレビ界に入った戦友でした」と悼んだ。藤本さんは読売テレビ制作分、巨泉は日本テレビ制作分の司会を担当。「僕はそのまま、司会者としてテレビタレントになっていったのに対し、義一にとってテレビはあくまで副業、というより気分転換だと言っていました。彼の本業はあくまで小説であり、文学でした」とコメントした。

 同じく日テレ制作分の司会者だった愛川欽也(78)は「ついに1人消えちゃったな」としんみり。ダンディーなイメージが強く「3人の中で一番ほっそりしていて格好良かった。ロマンスグレーでダンディー。僕と巨泉さんは野菜みたいで」と苦笑。会う機会は少なかったが「関西が好きで大阪が好きで、自分の街を愛していた人だった」としのんだ。

 ▽11PM 深夜のワイドショー番組で、正式名は「WIDE SHOW 11PM」。65年11月~90年3月放送。お色気番組の元祖として知られ、人気コーナーに「裸のヨガ」「夜のレコード大賞」など。放送開始当初は午後11時スタートで、次第に繰り下がった。司会はほかに所ジョージ(57)、高田純次(65)ら。

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