“昭和の名脇役”大滝秀治さん逝く…「あなたへ」が遺作に

[ 2012年10月6日 06:00 ]

2日に都内の自宅で死去した大滝秀治さん

 名脇役としてドラマ、映画、舞台で幅広く活躍した俳優の大滝秀治(おおたき・ひでじ)さんが2日午後3時17分、肺扁(へん)平上皮がんのため東京都内の自宅で死去した。87歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで行った。遺作は俳優の高倉健(81)と共演した上映中の映画「あなたへ」。今年2月に肺がんが見つかり、療養していた。22日に「お別れの会」を開く。

 「もう一度舞台に立ちたい」と色紙に書き残して旅立った大滝さん。病床でも台本を手放さず、亡くなる前日の1日も「きょうは舞台初日だ」「稽古しなければ」などと繰り返していたという。役者復帰への執念を燃やし続けた最期となった。

 一方で、療養中は一家団らんも楽しんでいた。この日、コメントを発表した家族は「こんなに家族とべったりと過ごしたことがありませんでしたので、病気になるのも決して悪いことばかりじゃないねと申しておりました」と説明。病床で難しい本を読みあさる中、最後に読んだのが赤塚不二夫さんのエッセー「これでいいのだ」だったそうで「まさに“これでいいのだ”と笑顔で穏やかに旅立ちました」とつづった。

 関係者によると体調不良を訴えたのは昨年末。今年2月に肺がんが見つかり、すぐに入院。病名は告知され、手術や放射線治療をせず、抗がん剤治療が行われた。がんと闘いながら6月の主演舞台「うしろ姿のしぐれてゆくか」出演を稽古開始直前まで熱望していたが、ドクターストップがかかり4月に降板を発表。6月に退院したが肺炎を患い、7月に再入院。9月7日に自宅に戻っていた。

 亡くなる直前まで体調は安定。今月1日も家族と一緒にシューマイを食べ、日本酒を飲んだ。夜中に呼吸が乱れたが、在宅看護の医師に薬を処方してもらい眠りについたという。翌2日午後に体調が急変。妻と2人の娘が見守る中、大きく呼吸を3回した後、静かに息を引き取った。この日、都内で会見した、長女菜穂さんの夫で劇団「円」演出家の山下悟氏(57)は「炎がふ~っと消えるようだったそうです」と話した。

 闘病生活で60キロあった体重が40キロまで落ちていたため、「人に見せられない」と葬儀を身内だけで行うよう遺言。葬儀はこの日、東京・落合斎場で親族ら約20人で済ませた。棺には愛用していた紺色のセーターと鉛筆、劇団民芸公演の台本2冊と、出演できず悔しがっていた舞台の台本1冊、「これでいいのだ」が納められた。戒名は「秀」の字を入れてほしいという生前の希望に沿ったものになったという。

 軍隊生活を経て1948年、民芸の前身劇団の養成所に入り、50年に民芸創立に参加。当初は役者として芽が出なかったが、75年のNHK連続テレビ小説「水色の時」の医師役で注目を集め、77年のドラマ「特捜最前線」の老刑事役で人気を獲得。ひょうひょうとした独特の存在感を発揮し、数多くのドラマや映画に名脇役として出演した。昨年10月に文化功労者に選ばれ、11月に天皇・皇后両陛下主催の茶会に出席したのが最後の公の場となった。

 ▼肺扁平上皮がん 肺がんの一種で腺がんに次いで多く、肺がん全体の約30%を占める。気管から気管支内部を覆う、扁平上皮という細胞ががん化。気管支内表面にできるため、初期段階での発見は難しい。主原因は喫煙で、ストレスや乱れた食生活も関係する。

 ▼「これでいいのだ」 故赤塚不二夫さんが生前に書いた自叙伝。旧満州での少年時代、漫画との出合い、伝説のトキワ荘での生活など、波瀾(はらん)万丈の生涯を描いた一冊。08年10月に発売された文庫本は、累計発行部数1万8000冊(文芸春秋調べ)。

 ◆大滝 秀治(おおたき・ひでじ)1925年(大14)6月6日、東京都生まれ。旧制私立駒込中学校卒業、48年に東京民衆芸術劇場付属俳優養成所の1期生として入所。50年、民芸の創設に参加し、2年後、正式に劇団員となる。出演作は映画が「黒部の太陽」(68年)「影武者」(80年)「お葬式」(84年)など。テレビは「太陽にほえろ!」(73年)「北の国から」(81年)など。舞台では「審判」で紀伊国屋演劇賞、「巨匠」と「浅草物語」で読売演劇大賞と最優秀男優賞、「らくだ」で文化庁芸術祭賞大賞を受賞した。88年に紫綬褒章。

 ◇大滝秀治さんお別れの会日程
 【日時】 22日(月)午後2時~4時
 【場所】 青山葬儀所=東京都港区南青山2の33の20=(電)03(3401)3653
 【喪主】 妻大滝純子(おおたき・じゅんこ)さん

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