社会派の意欲作次々と…国内外で高評価、02年に文化勲章

[ 2012年5月31日 06:00 ]

映画「ぼく東綺譚」を演出中の新藤兼人監督

新藤兼人監督死去

 1912年(明45)4月22日に広島県石内村(現広島市)で生まれた新藤監督は少年の頃から活動写真に夢中になり、34年に山中貞雄監督の「盤嶽の一生」を見て衝撃を受け、映画界入りを決意した。

 同年、新興キネマに入り、シナリオを書き始めた。溝口健二監督の美術助手などを経て、43年に松竹入社。戦後、脚本家としての実力を認められ、吉村公三郎監督の「安城家の舞踏会」、木下恵介監督の「お嬢さん乾杯!」などのヒット作で地位を確立させた。

 50年に松竹を退社して近代映画協会を設立。「愛妻物語」で監督デビューを果たして以降、広島の原爆の悲劇を描いた「原爆の子」、モスクワ映画祭でグランプリに輝いた「裸の島」、未成年者による連続殺人事件が題材の「裸の十九才」など社会派の意欲作を次々に発表し、国内外で評価された。

 老いをテーマに杉村春子さん主演で撮った「午後の遺言状」は大ヒット。02年に文化勲章受章。著書に自伝「青春のモノクローム」「愛妻記」などがある。

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2012年5月31日のニュース