「原爆の子」「午後の遺言状」…新藤兼人監督100歳大往生

[ 2012年5月31日 06:00 ]

29日に100歳で死去した新藤兼人監督

 「原爆の子」「裸の島」「午後の遺言状」など数々の名作を残した映画監督・脚本家で文化勲章受章者の新藤兼人(しんどう・かねと、本名兼登=かねと)さんが29日午前9時24分、老衰のため東京都港区赤坂の自宅で死去した。100歳。広島県出身。国内最高齢の映画監督として、4月22日に100歳の誕生日を祝ったばかりだった。大きな足跡を残した巨匠の死に映画界は悲しみに包まれた。

 明治に生を受け、大正、昭和、平成と映画の現場を駆け抜けた新藤監督が静かに逝った。ちょうど1世紀の生涯、大往生だ。

 関係者によると、4月22日に100歳の誕生日を迎えてから体調不良を訴えることが増えたという。赤坂の自宅では孫で映画監督の新藤風さん(35)が面倒を見ており、29日の早朝に様子が急変。風さんがかかりつけの医師に連絡したが、そのまま眠るように息を引き取った。次男で映画プロデューサーの次郎さん(63)は臨終には間に合わなかった。

 「最後の作品」と公言していた通り、99歳のときに撮った「一枚のハガキ」が遺作となった。同作品は2011年(第66回)毎日映画コンクール日本映画大賞、第54回ブルーリボン賞の監督賞を受賞するなど多くの映画賞で高い評価を受け、表彰式にも必ず姿を見せた。

 足腰が弱り、車椅子の世話にはなっていたが、サービス精神は旺盛。今年2月14日に都内で行われたブルーリボン賞の授賞式では新人賞の芦田愛菜(7)との「92歳差ツーショット」で沸かせ、2年後のコラボも示唆してみせた。

◇新藤兼人さん葬儀日程
【通夜】6月2日(土)午後6時
【葬儀・告別式】3日(日)午前11時半
【場所】増上寺=東京都港区芝公園4の7の35=(電)03(3432)1431
【喪主】次男次郎(じろう)氏

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