岡田茂氏通夜 吉永小百合ら2400人が弔問

[ 2011年5月11日 06:00 ]

岡田茂名誉会長の遺影

 肺炎のため9日に87歳で死去した東映名誉会長の岡田茂(おかだ・しげる)氏の通夜が10日、東京都港区の青山葬儀所で営まれた。吉永小百合(66)ら岡田氏の企画・プロデュース作品を彩った俳優ら約2400人が弔問。三田佳子(69)が弔辞を読み、菅原文太(77)が別れの言葉を述べた。葬儀委員長を務めた長男で東映社長の岡田裕介氏(61)は涙ながらに「おやじは映画のことしか考えていなかった」としのんだ。

 棺を乗せた車は杉並区の自宅から東映本社ビルを立ち寄り、社員は仕事の手を休めて正門前に整列して一礼。涙をこぼす女性社員の姿もあった。

 青山葬儀所で午後6時に始まった通夜は、下積み時代から可愛がられた俳優の小林稔侍(70)が進行を担当。コチョウランなど8000本の花で飾られた祭壇は波をイメージして組まれた。東映を象徴する三角マークがモチーフで、長男の裕介氏は「震災のことも気になりましたが、社のマークということでご容赦ください」。遺影は著書「悔いなき我が人生」の表紙用に撮った1枚で、喪主の彰子(あやこ)夫人(85)ら家族が選んだ。

 「網走番外地」「仁義なき戦い」など手掛けた映画のテーマ曲と、岡田氏がカラオケでよく歌った「カスバの女」(歌唱はエト邦枝)などが流れる中、弔問客の長い列が延びた。梅宮辰夫(73)、松方弘樹(68)ら「仁義…」シリーズの出演者も一堂に会した。北大路欣也(68)は「ぬくもりをもって包み込んでくださった」としのんだ。

 通夜前に会見した裕介氏は「怒られたことは一度もなかったし、僕が社長になってからも何も言わず全てを任せてくれた。東映は大黒柱を失ったが、あとは自分たちが頑張るしかない」と涙を拭った。長女でテレビコメンテーターとしても活躍する高木美也子さん(59)も「小さなときに京都の撮影所に遊びに連れていってくれ、美空ひばりさんや大川橋蔵さんに会わせてくれました。病床にあって“頑張ろう”と言ったら“頑張る”と答えたのが最後の会話になってしまいました」と泣き崩れた。

 戒名は「隆徳院殿茂岳秀榮大居士(りゅうとくいんでんもがくしゅうえいだいこじ)」で「映画人として素晴らしい仕事をした」という意味。葬儀・告別式は11日午前11時から同所で営まれ、女優の佐久間良子(72)が弔辞を読む。

 ≪太秦にも祭壇≫長く撮影所長を務めた京都市太秦の東映京都撮影所内にも祭壇がもうけられた。古くから共に仕事をしてきたスタッフや関係者ら約300人が焼香の列をつくった。

 ▽仁義なき戦い 飯干晃一氏のノンフィクションを原作に深作欣二監督が映画化。実際の暴力団抗争を題材に非情な陰謀と裏切りを描いた。73年公開。その後「広島死闘篇」「代理戦争」「頂上作戦」「完結編」など8作が公開。テーマ曲は津島利章氏が制作。豊川悦司、布袋寅泰主演の「新・仁義なき戦い」(阪本順治監督)など、他監督の作品も3作製作された。

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2011年5月11日のニュース