“ガハハおじさん”和田勉さん死去

[ 2011年1月19日 06:00 ]

元NHKアナウンサー・鈴木健二さん(中)を表敬訪問する、木村太郎さん(右)と、和田勉さん。1988年4月22日

 「阿修羅のごとく」などの演出で知られる元NHKディレクターで、“ガハハおじさん”の愛称でも親しまれた和田勉(わだ・べん)さんが14日午前3時17分、食道上皮がんのため川崎市の老人福祉施設で死去した。80歳。三重県出身。葬儀は近親者のみで済ませた。喪主は妻で衣装デザイナーのワダエミ(本名和田恵美子=わだ・えみこ)さん。和田さんの急死に、演出を受けた俳優陣には衝撃が広がった。

 独特の風貌と豪快な笑いで“NHKの名物ディレクター”として親しまれた和田さんが、ひっそりと息を引き取った。

 「今日も天気だタバコがうまい―嫌煙派のみなさん、ちょっと一服しませんか」の著書があるほどのヘビースモーカーだった和田さん。同局によると、78歳になった2008年6月に食道上皮がんを告知された。関係者によると「もう十分、ドラマなど仕事をやり切った感じがあったようだ」といい、手術や延命治療を拒否。覚悟を決め、川崎市内の老人福祉施設に身を寄せた。同局同期で外交評論家の磯村尚徳氏(81)によると「ここ2、3年は病気で、最期はかなり苦しかったようだ」という。

 入局から3年後に「芸能局ドラマ」に配属され、「阿修羅…」をはじめ大河ドラマ「竜馬がゆく」や「ザ・商社」など良質なドラマを次々と演出。芸術祭の大賞を2度受賞し“芸術祭男”の異名も取った。

 女優を育てる手腕にも定評があった。71年のドラマ「満開の時」では美空ひばりさんを起用。当時を知る関係者によると、シーンが終わるたびに「お見事!お見事!」とひばりさんを褒め、上手に乗せて迫真の演技を引き出していった。87年に定年退職後は、フリーのプロデューサーに転身。ストリッパーだった清水ひとみ(48)を商業演劇にキャスティングするなど、異色のアイデアで世間を騒がせた。

 ユニークなキャラクターは民放も放っておかなかった。退職と同時にフジテレビの「笑っていいとも!」に月曜レギュラーとして出演。口を大きく開けて豪快に笑う姿から“ガハハおじさん”とも呼ばれた。ダジャレも大好き。テレビでは「息子が3、4歳のころ(一緒に)NHKの廊下を歩いていたら、森光子さんから“あっ、大便、小便が来た”って言われたことありますよ。ガハハ」などの冗談で爆笑を巻き起こした。

 テレビ史に大きな一歩を刻んだ和田さん。後日、NHKなどの主催で「お別れの会」が開かれる。

 ◆和田 勉(わだ・べん)1930年(昭5)6月3日生まれ。三重県出身。早稲田大第一文学部演劇学科卒。53年にNHK入局。「天城越え」「けものみち」など多数のドラマの演出を担当。87年にNHKを退職。89年公開の映画「ハリマオ」で監督デビュー。著書に「テレビ自叙伝―さらばわが愛―」(岩波書店)など。芸術選奨文部大臣賞、放送文化基金賞本賞など受賞。

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