昭和の名作詞家また…石本美由起さんが死去

[ 2009年5月28日 06:00 ]

死去した石本美由起さん

 「憧(あこが)れのハワイ航路」「悲しい酒」などのヒット曲で知られる作詞家の石本美由起(いしもと・みゆき、本名石本美幸=いしもと・みゆき)さんが27日午前0時50分、心不全のため横浜市の病院で死去した。85歳。広島県出身。体調を崩し、1年前から入院していた。約4000曲を発表し、「矢切の渡し」「長良川艶歌」の2作で日本レコード大賞を連覇。中でも古賀政男作曲、美空ひばり歌唱の「悲しい酒」は日本歌謡史の伝説だ。

 昨年12月に他界した作曲家の遠藤実さん(享年76)、今年2月の作詞家松井由利夫さん(同83)、今月11日の作曲家三木たかしさん(同64)に続き、歌謡界はまた偉大な作家を亡くした。
 みとったのは夫人と長男で元レコード会社役員の石本望美さん(55)夫妻の3人。関係者によると、日付が変わる頃に容体が変わり、意識が無いまま静かに眠るように旅立ったという。
 横浜市の自宅で遺体と対面した関係者は「やせていたけど少しツヤがあって、とても安らかな顔でした」と説明した。
 糖尿病に加え、白内障や胃かいようで手術をし、95年に大好きな酒をやめた。1年前に入院後も体力は徐々に弱り、作品は書いていないという。最後の発表作は、昨年9月に発売された中村美律子(58)の「女の旅路」。弔問に訪れた作曲家の海沼実氏(36)は入院中の石本さんから「心の絆(きずな)」など5作の詩を提供され、曲を書いている最中での悲報に「2日前に夫人と話したばかりだったので。とてもやさしい方でした」としのんだ。
 大衆の哀歓を反映させた叙情的な作品が多く、国内旅行さえもままならない戦後わずか3年の48年に「憧れのハワイ航路」を出し、敗戦で打ちひしがれた人々に夢を与えた。その年に横浜の国際劇場の開場1周年記念公演に立ったのがデビュー前の加藤和枝。のちの美空ひばりさんで、66年に古賀政男さん作曲で歌った「悲しい酒」は、石本さんにとっても、ひばりさんにとっても代表作となった。
 仕事が速い石本さんがこの歌だけは完成せず、何日も酒場へ通って苦しんでできた作品。「別れ涙の味がする」の名フレーズは横浜のホステスの身の上話から生まれた。
 子供の頃は病弱で文学青年だった石本さんがこよなく愛したのは多くの童謡を残した詩人、北原白秋。最近のヒット曲の歌詞を「あれは詩というより“死”だ」と言い、言葉の乱れを嘆いていた。

 ◆石本 美由起(いしもと・みゆき)本名石本美幸。1924年(大13)2月3日、広島県大竹市生まれ。北原白秋に夢中になり、作詞家の道を進む。「長崎のザボン売り」が作曲家江口夜詩の目に留まり、1948年にレコード化されデビュー。日本音楽著作権協会(JASRAC)理事長、日本作詩家協会会長、日本音楽作家団体協議会副会長を歴任。カラオケ設置店からの楽曲使用料徴収などにも取り組んだ。84年に紫綬褒章、98年に勲三等瑞宝章を受章。

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2009年5月28日のニュース