| 1949.2.1 |
大阪で「スポーツニッポン新聞」誕生。タブロイド判4ページ(11段組み)1ヵ月42円、1部1円50銭 |
| 1950.3.6 |
東京支社を設立、同日付から発刊。全紙大(現在と同じ)2ページで1ヵ月50円、1部1円50銭。当初の発行部数は15万部。支社は千代田区有楽町の毎日新聞東京本社内に置かれた |
| 1957.2.1 |
プロ野球全キャンプ地にマスコミで初めて特派員常駐。キャンプ報道に変革 |
| 1959.6.1 |
札幌市で現地印刷を開始、全国紙としての基礎を確立 |
| 1960.8.10 |
東京支社が「株式会社スポーツニッポン新聞東京本社」として独立 |
| 1960.10.15 |
新聞界初の赤見出し |
| 1966.9.26 |
本社を竹橋のパレスサイドビル内に移転 |
| 1971.9.13 |
即売用新紙面「スポニチ環状線」スタート。新聞界初の二毛作 |
| 1972.4.22 |
即売紙面で1面題字上に横一線の赤見出し。大胆紙面 に大反響 |
| 1975.4 |
青森市で現地印刷開始 |
| 1976.10.24 |
日本初のF1を主催 |
| 1977.5.7 |
「王将戦」を主催、独占掲載 |
| 1982.4 |
前橋市で現地印刷開始 |
| 1983.10.11 |
初のダブル1面を発行 |
| 1986.1 |
カラー印刷開始 |
| 1986.8 |
福島市で現地印刷開始 |
| 1987.4 |
コンピューターによる組版システム「CTS」が始動 |
| 1988.8 |
編集局が江東区越中島の現社屋に移転。厚木市で現地印刷開始 |
| 1989.3 |
営業・管理部門が越中島に移転 |
| 1990.7 |
韓国のスポーツ朝鮮社と業務提携 |
| 1992.7 |
バルセロナ五輪で衛星版スポニチ(タブロイド判)を現地発行 |
| 1995.1 |
阪神淡路大震災救済募金を紙面で呼びかけ、全国から4204万9306円の義援金が集まる |
| 1995.4 |
スポーツ紙初の販売部数(ABC協会報告部数、東京本社管内の1日平均)100万部を突破 |
| 1995.8 |
川口市で現地印刷開始 |
| 1996.7 |
アトランタ五輪でも衛星版を発行 |
| 1998.2 |
長野五輪期間中に、初の英字紙「THE SPONICHI」を発行。タブロイド判16ページ、大反響を呼ぶ |
| 1999.1.1 |
電子メール新聞「スポニチメール」創刊 |
| 1999.2.1 |
創刊50年を迎え、変身し、21世紀へスタート |
| 1999.10 |
ラジオ・テレビ面が大改革、片面カラーの2ページに |
| 2000.4.1 |
スポニチのホームページ「Sponichi Annex」がスタート |
| 2001.3.24 |
21世紀型に題字変身。「デカ字」導入 |
| 2001.10 |
国会記者クラブ加盟 |
| 2003.6 |
江東区越中島の東日印刷新工場で印刷開始 |
| 2003.7 |
終面企画「好奇心」スタート |
| 2004.2.1 |
創刊55周年 |
| 2004.10.1 |
スポニチ大阪、スポニチ西部と合併。「株式会社スポーツニッポン新聞社」となる。3本社で題字を統一 |
| 2007.5.30 |
スポーツを通じての社会貢献、地域振興などを基本理念とした「スポニチフォーラム」(第1回)を開催 |
| 2008.8.29 |
動画の新サイト「スポニチてれびぃ」を開始 |
| 2009.1.1 |
吉本興業とのコラボレーションで超大型連載企画「笑いは地球を救う!!!」をスタート |
| 2009.2.1 |
創刊60周年 |
| 2009.7.1 |
西部本社が小倉から福岡に移転 |
| 2009.10.27 |
環境事業強化を進める宇部マテリアルズと包括業務提携契約を締結 |
| 2010.2.5 |
子どもたちのためのスポーツ紙「スポニチジュニア」創刊 |
| 2010.2 |
吉本興業とのコラボ企画「スポニチ新喜劇」を大阪・千日前のなんばグランド花月(NGK)で上演 |
| 2010.5.1 |
大阪・ミナミに情報発信基地「スポニチプラザ大阪」オープン |
| 2011.4.1 |
「毎日・スポニチ持株移行株式会社」設立 |
| 2011.5.1 |
月刊タブロイド紙「スポニチアーカイブス」創刊 |
| 2011.6.24 |
毎日・スポニチ持株移行株式会社が臨時株主総会を開き、商号を「株式会社毎日新聞グ
ループホールディングス」と変更 |