琢磨インディ500優勝 101回目、0秒2差で日本人初快挙

[ 2017年5月30日 05:30 ]

インディカー・シリーズ第6戦インディ500 ( 2017年5月28日    米インディアナ州インディアナポリス )

40歳が歴史をつくった!!世界3大レースのひとつ「インディ500」で日本人初優勝を果たし、マシンの上で両手を突き上げ喜びを爆発させる佐藤琢磨(AP)
Photo By AP

 史上初の快挙だ!第101回を迎えた伝統のレースで、8度目の出走となった佐藤琢磨(40=ホンダ)が初優勝を飾った。自身過去最高の予選4位で2列目からスタート。残り5周でトップに立つと、激しい追い上げをしのぎ日本を含むアジア出身選手では初の優勝。世界3大レースの一つである北米最高峰レースで日本のモータースポーツ界第一人者が新たな歴史を刻んだ。

 3時間超の死闘を制した佐藤は愛車の上に立つと、両手を突き上げて40万人を超える観衆の大歓声に応えた。伝統の“勝者の牛乳”を手渡され、3分の1を一気飲みし、残りは気持ちよさそうに頭からかぶった。1909年のコース開場時のレンガの路面にちなみ、ゴールラインに残してあるレンガにもキス。震えるほどの感激をかみしめた。

 「インディ500で勝つのは、自分のレース人生で最高の瞬間。ちょっと実感が湧かない。うれしいし、ちょっと現実じゃない気もする」。表彰台がなく1位のみが栄誉を手にする伝統のレースで日本人10人目の挑戦者が歴代71人目の勝者として名を刻んだ。インディアナポリス・モータースピードウエーでは使用コースこそ違うが、04年にはF1米国GPで3位に入賞。思い出の地で、再び金字塔を打ち立てた。

 2列目から200周の長丁場をスタート。序盤を5番手付近で進めると、65周目に初めて先頭を奪った。一時は17番手まで後退も、残り6周で2位に再浮上。次周の直線でテール・トゥ・ノーズから歴代最多タイ4度目の優勝を狙うカストロネベスを抜いて先頭に。最後は激しい追い上げを0秒2差しのぎ、右手を上げてチェッカーフラッグ。約804・6キロを走り抜き、約20メートル差での僅差勝利を「最後の数周はすさまじい展開だったが、ああいう瞬間を待っていた」と振り返った。

 幼少期からの英才教育が当たり前のモータースポーツ界。19歳でキャリアを始めた佐藤は、攻撃的なドライブを武器にわずか6年でF1シートをつかんだが、一方でそれがあだとなったこともある。象徴的なのが2番手で最終周に入りながら、第1コーナーでの強引な追い抜きがたたってスピンした12年の同じインディ500。しかし不惑を迎えて「やり残した仕事をしたかった。攻めるところと引くところを考えた。今回は第1コーナーには自分の走るイメージを持っていた」と冷静にレースを進めた。

 84年ロス五輪の蒲池猛夫(射撃)の48歳が五輪金メダルの日本最高齢だが、40歳での世界3大レース制覇はそれに匹敵する快挙。それでも「40歳だと自分の競技レベルをどう維持するかを考える人もいる。でも自分はもっと上に上がりたいし、まだまだ走り続けたい」と先を見据えた。「この勝利はとてつもなく大きい。日本でどういうふうに捉えられるのか想像がつかない」。日本国内のレースシーンに再び光を当て、佐藤は太平洋の向こうの母国に思いをはせた。

 ▽世界3大レース インディ500、F1のモナコ・グランプリ(GP)、ル・マン24時間レースの総称。インディ500が1911年、モナコGPが1929年、ル・マンが1923年に初開催という長い歴史を有している。ル・マンでは95年に関谷正徳(マクラーレンF1・GTR)、04年に荒聖治(チーム・ゴウ=アウディR8)が優勝。佐藤の優勝で、日本人ドライバーで優勝がないのはモナコGPだけとなった。なお、3レース全てで優勝したのはグラハム・ヒル(英国)のみ。日本人で3レース全てに出場したのは中野信治(46)だけだ。

 ▽インディカー・シリーズ F1と同様にタイヤが露出しているオープンホイール型の車で競う自動車レース。インディ・レーシング・リーグとして96年にCARTから分離独立して発足し現在では北米最高峰の地位を確立。オーバル(だ円)コースや市街地コースなどで実施され17年は全17戦を予定。最高時速は380キロにも達する。シリーズの頂点に立つのがインディ500で毎年5月最終月曜日前日の日曜日に決勝を開催。1周2.5マイル(約4.023キロ)のオーバルコースを200周して争う。優勝賞金総額は250万ドル(約2億7750万円)前後(後日発表)。36年に3度目の優勝を果たしたルイス・メイヤー(米国)がバターミルクを一気飲みしたシーンが世界中に流れ、46年に乳業会社が優勝者に牛乳と賞金を提供し、その牛乳を飲む儀式が伝統として続いている。

 ◆佐藤 琢磨(さとう・たくま)1977年(昭52)1月28日、東京都生まれの40歳。自転車競技では高校総体で優勝し、97年に早大を中退してモータースポーツに本格転向。01年に英F3で日本人初王者となり、02年にジョーダン・ホンダでF1デビュー。BARホンダ時代の04年に米国GPで日本人最高タイの3位に入った。08年を最後にF1シートを失い、10年からインディカー・シリーズに参戦。13年の第3戦ロングビーチ(米国)で日本人初優勝を果たした。

続きを表示

この記事のフォト

2017年5月30日のニュース