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ラッキー・マン――IBF世界スーパーライト級王座決定戦

[ 2017年10月6日 09:30 ]

IBF世界スーパーライト級王座決定戦に出場する近藤明広
Photo By スポニチ

 【中出健太郎の血まみれ生活】村田諒太いわく、「凄くいいヤツ」なのだという。11月4日の世界初挑戦が決まったスーパーライト級の近藤明広(32=一力)は東洋大ボクシング部の同期生。自身の世界戦へ向けたキツい練習の後、近藤の話題を振られた村田は自然と笑顔になり、「いいヤツ」の話を始めた。

 プロへ転向するため近藤は大学を2年で中退したが、たまに食事に行くなど今も親交がある。村田が5月の世界初挑戦で不可解な判定により敗れた際は、近藤の方から連絡した。そして今回は、村田の世界再挑戦の2週間後に近藤がIBF世界スーパーライト級王座決定戦に出場する。「当時は大学の寮が荒れていた」という村田は、同部屋で一晩中ゲームに興じる者がいて眠れなかった近藤が朝練に間に合わなかったエピソードを披露。「お互い勝って、ベルトを持って、祝勝会がしたい」とエールを送った。

 「練習ではホント、ボコボコにされていた」。のちの五輪金メダリストの強さを振り返った近藤は「元々2年でやめると周囲に言っていたのに、日本タイトルの時に村田から“あの時は(大学から)逃げたと思った”と言われた」と苦笑した。

 その日本ライト級王座を獲得したのはプロデビューから3年後の2009年8月。“かませ犬”扱いで挑戦者に指名されたが、「初めて倒されるかもしれない、と開き直った」のが功を奏し、三垣龍次(M.T)に1回45秒KO勝ちしてベルトを奪った。今回の相手は12戦全勝10KOのセルゲイ・リピネッツ(ロシア)で、前評判は絶対不利。それでも「あの時と同じ心境。怖がらずに練習していけば、という前例がある。勝つことだけイメージしている」と前向きに捉えている。

 埼玉県加須市出身で中学までは野球で投手。最速136キロの右腕で、今夏の甲子園で優勝した花咲徳栄高の練習にも参加した。「高校でも野球をやるんだろうな」と考えていた矢先、畑山隆則が世界ライト級王座を獲った一戦をテレビで見たのが、人生の分岐点だった。「自分もなれるんじゃないかと勘違いして」野球をあっさり辞め、専門誌を買って探した近くのジムに中3の10月に入門。栃木・白鴎大足利高に特待生で入学し、インターハイ準優勝の成績を残した。そのままプロになろうとしたが、親に反対されたため、締め切り2日前に願書を提出。推薦入学した東洋大で、村田と同期になった。

 アマの頂点まで突き進んだ村田に対し、途中からプロの道を歩んだ近藤は日本王座2度目の防衛に失敗した10年4月以降、なかなか殻を破れなかった。「世界を目指せる環境が欲しい」とタイへの移籍を決意し、13年末には日本ボクシングコミッション(JBC)へ引退届を提出したが、たまたま不動産屋で出会い、親しくしていた一力ジムのマネジャーに誘われ、同ジムへ移籍して現役復帰。15年7月に世界ランカー撃破、昨年9月には国内初開催となったWBOアジアパシフィック王座決定戦を制し、世界挑戦を実現させた。

 決して順調ではないものの、実力に加えて要所で出会いやタイミングに恵まれ、近藤は「運がいいボクサーだと思っている」という。今回の王座決定戦もスーパーライト級の世界4団体を統一したクロフォード(米国)のIBF王座返上によりチャンスが巡ってきた。しかも、ヘビー級タイトルマッチの前座で場所はニューヨーク。「そういう面でも強運の持ち主と改めて感じた。楽しみたいという気持ちも出てきた」。村田は世界初挑戦で判定に泣く不運に見舞われたが、近藤は果たしてどうか。(専門委員)

 ◆中出 健太郎(なかで・けんたろう) 2月に50代へ突入。スポニチ入社後はラグビー、サッカー、ボクシング、陸上などを担当。今年は9月までに国内外で開催された日本ジム所属選手の世界戦27試合のうち、実際に会場で見たのは14試合。タイ、中国、英国での世界挑戦やホルヘ・リナレス(帝拳)の試合はテレビやインターネットに頼った。便利になったと思う反面、今は担当記者が全てカバーしきれないほど世界戦のチャンスがあると実感する。

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2017年10月6日のニュース