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100パーセントの人生を送るには覚悟と努力と勇気に少しだけ運も必要な件

[ 2016年11月11日 08:00 ]

傷だらけの顔で試合を振り返る細川バレンタイン

 【中出健太郎の血まみれ生活】右目周辺は視界がふさがるほど腫れている。顔は傷だらけだ。いかにも負けた直後といった控室で、そのボクサーは誇らしげに話し続けた。

 「俺は会社もボクシングも100パーセントでやってるつもり。俺、ボクシング好きだから。全部出せるから。こういうふうに人生の中で本気になれるって、会社へ行ってる人にはないと思う。普通に生きていたら50パーセントも出せないけど、ボクシングをやっていると生きていることを実感するんですよ」

 細川バレンタイン、宮田ジム所属の35歳。会社員にしてプロボクサー。ナイジェリア人の父と日本人の母を持つ。かつて「銀行員ボクサー」と紹介され、現在は同じ系列の金融会社に勤務という。「個人情報を扱うので」と会社名は明かさなかったが、「銀行員とか関係なくボクサーとして見てほしい。どちらもできて俺だから」が本音だろう。

 11月1日、後楽園ホールで日本スーパーライト級王者・岡田博喜(角海老宝石)に挑み、0―3で判定負けした。有給休暇を取った前日計量と試合当日以外は、普通に午前9時から午後5時まで勤務。フェザー級でもいけそうな体格なのに、スーパーライト級で戦っているのは「減量をすると仕事に行けなくなっちゃう」から。試合へ向けた減量のため「3カ月に一度、3週間休むとかできない」。減量が必要ないから、前日計量の朝も好物の赤飯おにぎりを3つ、腹に収めた。

 成功を求めてナイジェリアから来日し、食うために働いた。だが、総合格闘技に興味を持ち、始めたボクシングで自身が生きている意味を見つけた。2006年に25歳でプロデビューし、13年に日本王座と東洋太平洋王座に挑戦。いずれもTKO負けだった。今回は前戦で敗れたものの、3年ぶり3度目のタイトル挑戦の機会が巡ってきた。「もし勝っていたら(王者側が警戒して)このチャンスはなかったのかと思う。そういう意味では運がいいなと思っている」。細川は、仕事ができていれば残業せずに練習へ行ける会社の雰囲気にも「相当、俺は運がいいと思いますね」と感謝した。そして「早く帰るには、それなりの成績を残さないと」とサラリーマンのプライドも口にした。

 プロボクサーとしてのプライドは、リングで示した。「小細工しても勝てる相手じゃない」という安定王者・岡田を相手に、本来のスタイルとは異なるインファイトを挑んだ。岡田の高速ジャブを被弾しながらも、体ごと潜り込んでフックを振るい、左まぶたから流血させた。採点は6~8点差の完敗だったが、予想以上の健闘に場内は沸き、「バレン」コールが起きた。声を張り上げる観客の中には、100人近い会社の同僚もいた。

 「プロって何なのって分かってない人もいたと思う。僕が趣味とかトレーニング、スポーツジムへ通っている感覚で見ていた人もいたと思う。でも、ボクシングを後楽園ホールで見ると、音とか汗とか熱気とか、全然違う。それを見せられただけでもよかった」

 涙を見せたのは、その直後だった。「初めて試合やりながら“怖くねーな”と思えた。負けたんすけどね、自分の皮を一枚脱いだ気がします」。これまでとは違う、絶対王者に全てをぶつけた戦い方で、本気の人生をさらに実感した。「これでも100パーセントは出せてない。30パーセントは残っていると思う」と前を向いた細川。岡田に浴びせた右フックのような、突き刺さるような言葉が口から漏れた。

 「人生で本気になったこと、何回ありますか?」

(専門委員)

 ◆中出 健太郎(なかで・けんたろう)1967年2月、千葉県生まれ。中・高は軟式テニス部。早大卒、90年入社。ラグビーはトータルで10年、他にサッカー、ボクシング、陸上、スキー、外電などを担当。16年に16年ぶりにボクシング担当に復帰。リングサイド最前列の記者席でボクサーの血しぶきを浴びる日々。

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2016年11月11日のニュース