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天龍、引退を決めた理由とは…“昭和のプロレス”貫き完全燃焼

[ 2015年11月15日 19:58 ]

1998年1月、WAR東京大会で「力道山ベルト」を手に笑顔を見せる天龍

 15日に東京・両国国技館で引退興行で39年のプロレス人生に幕を閉じた“ミスタープロレス”天龍源一郎(65)。引退の理由は体力的な問題ではなく、家族の病気やプロレス人気の回復を感じたことだった。

 今年2月9日、天龍は都内で会見を開き、引退を正式発表した。その席ですがすがしい表情を浮かべながら「潮時かなと思った。楽しいプロレス人生だったし、もうおなかいっぱい」と語った。

 「潮時」――。その決断の背景には「支えてくれた奥さんの病気」があった。現在は回復しているが、妻のまき代さんが昨年、病に倒れた。「今、身を引いて今度は俺が支えていく番だと思った。身内に恩返しをしたい。少しでも自分が身近にいることで手助けになれば」。そして、もう一つの理由として「プロレス人気が盛り返したときに身を引いた方がいいと思った」。新日本を中心にプロレスが“復興”してきたことで、自身の昭和のプロレスに限界を感じ始めていた。昨年12月中旬に天龍プロジェクト代表で長女の紋奈さんらと話し合い、引き際を決めた。

 76年の全日本プロレス入団から39年。89年11月にはハンセンとのタッグで師匠のジャイアント馬場をパワーボムで仕留め、94年1月にはアントニオ猪木も倒した。両選手からフォールを奪った日本人は天龍だけ。数々の伝説を残し、ファンを熱くさせた男は、大相撲出身レスラーにふさわしく、両国国技館で完全燃焼した。

 ◇天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)1950年(昭25)2月2日、福井県勝山市出身の65歳。本名嶋田源一郎。中学2年の時に大相撲の二所ノ関部屋に入門。64年初場所で初土俵を踏み、73年初場所で新入幕。76年秋場所後に引退し、同年10月全日本プロレスへ入団。89年に3冠ヘビー級王者、99年にIWGPヘビー級王者となった。その後、SWS、WARなど各団体で活躍。10年3月に「天龍プロジェクト」を立ち上げた。11年に腰部脊柱管狭窄(せきちゅうかんきょうさく)症の手術を受けて長期欠場したが12年12月に復帰。得意技は天龍チョップ、グーパンチ、垂直落下式脳天砕き。

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2015年11月15日のニュース