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和毅 3―0判定で涙の世界王座奪取!史上初3兄弟王者や

[ 2013年8月2日 06:00 ]

新王者誕生!!父・史郎さんに肩車され雄たけびを上げる亀田和毅

WBO世界バンタム級タイトルマッチ12回戦 ○同級5位 亀田和毅 判定 王者 パウルス・アンブンダ●

(8月1日 フィリピン・セブ市)
 亀田3兄弟の三男・和毅(ともき、22)が、王者パウルス・アンブンダ(32=ナミビア)を3―0の判定で下し、世界初挑戦で王座を獲得した。3階級制覇の長男・興毅(26)、元WBA世界フライ級王者の次男・大毅(24)に続く3兄弟の世界王座獲得は、世界にも例がない快挙。4月に日本で認可されたWBOの日本人王者誕生は初で、日本人9人目の海外王座奪取となった。

 試合終了のゴングと同時にコーナーポストを駆け上がって雄叫びを上げた。新王者誕生のアナウンスが響くと、涙で顔をくしゃくしゃにした。大差の3―0勝利。セコンドについた父・史郎氏に肩車されて、リングを1周した。亀田家の悲願がこの瞬間、達成された。

 「めっちゃ、うれしいな。小さい時からの夢やったから。これでオヤジの夢を達成できた」

 デビュー当時から「亀田家の最終兵器」と呼ばれてきた。兄2人が「亀田家で最も才能がある」と口をそろえる理由は、抜群のスピードだ。序盤から3連発で繰り出すジャブ、右カウンターで確実にポイントを稼いだ。6回には左フックで相手をぐらつかせた。最終回の終了間際にもワン・ツーで、アテネ五輪8強の王者を崩した。「全勝の王者に大差で勝ったのは自信になる」と胸を張った。

 この舞台に立つまで3兄弟では最も険しい道を歩まされた。8歳でボクシングを始めると、史郎氏に猛練習を課され、泣きながらやった。当初は北京五輪出場を目指したが、テレビ出演がアマ規定にひっかかる可能性を指摘されて断念。史郎氏は、兄2人とは違うメキシコ単身武者修行を課した。

 中学卒業後に海を渡って1泊1000円の安宿を拠点としたが、夜には外で銃声が聞こえた。興毅に何度も「帰りたい」とメールを送った。辞書を手に会話でスペイン語を覚えた。17歳、メキシコでのプロデビュー戦はブーイングを浴び、ビール缶を投げつけられた。「つらかったね。あれを乗り越えて、自信になった」。勝利を重ねることで、いつしかメキシコの観客を味方につけた。

 4月に日本ボクシングコミッション(JBC)がWBA、WBCに加え、新たにWBO、IBFを認可した。安易な世界挑戦を避けるため、日本・東洋太平洋王者経験者でなければ、国内で世界挑戦できなくなった。「おかしいやろ。俺もみんなの前で王者になりたい」とぶちまけたこともある。だが、バンタム級はWBAが興毅、WBCが山中慎介(帝拳)が世界王者の日本人激戦区。新団体認可が和毅の世界挑戦を可能にした。そのチャンスを確実にものにした。

 「俺の夢はラスベガスでのビッグマッチ。もっともっと強い王者になります」。メキシコで成長し、フィリピンで偉業を成し遂げた22歳の視線は再び世界を向いていた。

 ◆亀田 和毅(かめだ・ともき)1991年(平3)7月12日、大阪市西成区生まれの22歳。8歳でボクシングを始める。アマチュアでは28勝(17KO・RSC)1敗1分け。中学卒業後、メキシコで武者修行し、08年11月に同国でプロデビュー。12年4月にはWBCバンタム級で正規王座に次ぐシルバー王座を奪取した。左ジャブが得意な右ボクサーファイター。28戦全勝(18KO)。ニックネームは「亀田家の最終兵器」「エル・メヒカニート」(スペイン語でメキシコの少年)。

 ▽WBO(世界ボクシング機構) WBAから分裂して1988年に設立。本部はプエルトリコ。会長はフランシスコ・バルカルセル。90年代にオスカー・デラホーヤ(米国)、ナジーム・ハメド(英国)らの活躍で、知名度が向上し、地位を確立。これまでWBAとWBCしか認めていなかった日本では今年4月1日付でIBFとともに承認した。7月13日にスーパーミドル級の清田祐三(フラッシュ赤羽)が加盟後の日本人として初めてWBO王座にドイツで挑戦したが、王座獲得はならなかった。

 ▽世界挑戦者資格の内規 日本プロボクシング協会はWBO、IBFを承認した今年4月、世界王者乱立を防ぐため、世界王座の挑戦資格の内規を定めた。従来は世界ランカー(15位以上)であれば誰でも挑戦できたが、世界・東洋・日本のいずれかの王者経験者、指名挑戦権獲得者に限って挑戦を認めることとした。海外での挑戦については「管轄外のため」適用外とした。日本王座も東洋太平洋王座も獲得経験がなく、国内で世界挑戦できない和毅陣営は交渉の末に王者アンブンダのホーム(ナミビア)ではなく、中立地での開催にこぎつけた。関係者によると「時差1時間でテレビ中継に支障が少なく、親しいフィリピン人のプロモーターと交流が持てる」ことが理由でフィリピン・セブ島での開催となった。

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