復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年~

500キロ遠征つないだ…野球人の「絆」

[ 2011年6月12日 06:00 ]

バス内で気勢を上げる両校ナイン

 東日本大震災から3カ月。各地で追悼イベントなどが行われた11日、群馬県桐生市では、地元・桐生商と東日本大震災で壊滅的な被害を受けた陸前高田市の高田高校野球部を招いての招待試合が行われた。桐生商・武藤賢治監督(39)をはじめ、高校、大学球界の指導者らが奔走して実現した今回の試合。自分たちに何ができるのかを模索し、実行した野球人の行動が、高田高校野球部に貴重な経験をプレゼントした。

 あの大震災は決して人ごとではない。3回表、高田高校の攻撃中だった午後2時46分。被災地から遠く離れた群馬県桐生市の広沢球場で、1分間の黙とうがささげられた。両チームの監督、選手、観客ら球場にいる全ての人が静かにこうべを垂れ、震災で亡くなった人々に哀悼の意を表した。

 桐生商による招待試合の結果は0―5、4―10で高田高校の2戦2敗で終わった。それでも佐々木明志(あきし)監督(48)は、群馬まで遠征して試合ができたことに感謝した。「わざわざ迎えに来てもらって食事まで出していただいて本当にありがたいです。ウチの選手もいい投手と対戦できていい経験になったと思います」

 今回の試合が実現したきっかけは、桐生商の武藤監督に届いた1通のメールだった。1971年(昭46)生まれの高校、大学の指導者や野球関係者で構成する「46会」(ヨンロク会)のメンバーでもある武藤監督は「被災地に野球道具を送ろう」という同会からの呼びかけのメールを受け取った。「自分たちにできることはしたい。でもウチみたいな普通の公立校は送るほど道具がないんです。では何ができるかを考えたら試合ならできると思ったんです」

 試合の受け入れを表明すると「46会」の会長を務め、全国に豊富な人脈を誇る駒大苫小牧の香田誉士史前監督が対戦校を探し、高田高校との試合が実現した。遠征にかかる費用は全て桐生商側が負担。宿泊場所は桐生商校内の合宿所を用意した。

 少しでも経費を抑えるために、10日午後、武藤監督自らスクールバスのハンドルを握り、高田高校ナインを迎えに現在の校舎がある大船渡市に向かった。宮城県沿岸部の道路が一部通行止めだったこともあり、時間は約9時間を要した。そして高田高校ナインを乗せ、再び桐生商にUターン。帰りは約7時間で到着したものの、着いたのは午前1時を回っていた。寝ないで待っていた桐生商ナインは「歓迎高田高校」という垂れ幕を掲げ、到着した高田ナインを出迎えた。布団に入っても両校の選手たちは午前3時すぎまで語り合った。

 両チームの力の差は歴然としていた。だが、いまだにがれきの山が残る地元を離れ、強豪を相手に思い切りぶつかった経験は高田高校ナインにとって何物にも代え難い経験となった。そして、こうした支援を肌で感じることは、野球ができることに対する感謝の気持ちをより強く実感させた。大和田将人主将は「県内にいないような投手と対戦できてよかったです。本当にいろいろな方に応援してもらってるので、意識を高く持って頑張りたいです」と話した。

 高田高校ナインは12日の午前中に合同練習を行った後、決意を胸に地元に帰る。桐生商との甲子園での再戦を期して。

 

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