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日めくりプロ野球9月

【9月30日】2005年(平17) 楽天・三木谷オーナー、ノムさん獲りを正式表明

06年2月、ブルペンで投手陣の様子をみる野村監督(右)。1年目は最下位に終わったが、07年は4位まで脱出した
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 プロ野球12球団制維持の“救いの神”となった楽天だったが、新規参入1年目は満足な選手が集められず、38勝97敗1分。この年パ・リーグ打撃成績16位の日本ハム・小笠原道大内野手の打率よりも低い、勝率2割8分1厘で最下位に沈んだ。勝率2割台は1961年(昭36)にシーズン103敗を喫した近鉄以来、44年ぶりの“悲劇”だった。

 そこで大の負けず嫌いの楽天社長の三木谷浩史オーナーが新監督として白羽の矢を立てたのが、夫人の脱税問題で阪神監督の座を退き、社会人野球シダックスの監督として新境地を切り開いた野村克也だった。

 この日、シダックスの志太勤会長を訪問、野村の楽天監督就任を正式要請した。野村はその2日前「断る理由は何もない。私でよければ全力を尽くす」と述べており、事実上、監督就任は決定していた。

 当初、留任の線が濃かった初代指揮官の田尾安志監督だったが、9月25日に解任を発表。三木谷オーナーは志太会長と会談後「さすがに97敗は厳しい。かばいきれない」と解任理由は、単純に成績のみにあったことを強調した。

 米田純球団代表は「オーナーは続投の意向だったが、現場のフロントサイドが要請した。強いチームを作るためには再構築が必要と判断した」として、現場の要望だったとしたが、実際はオーナーの決断がなければ解任はなかった。

 若手の起用を迫った三木谷氏に対し「方針は僕が決める」と突っぱねたことを一例とする田尾監督との確執も大きかったが、それ以上に1軍と2軍の風通しの悪さ、監督の選手に対する態度など、成績とは別の楽天独自の細かい査定での評価が、田尾解任につながったとする関係者は多い。

 野村起用について三木谷オーナーは、あるテレビ番組でこう話している。「たとえばボロボロの社員ばかりの会社で収益を上げようとすれば、経験値の高い社長でないと務まらないのと同じように、楽天も新規参入で、やっぱり経験豊富な人にやってもらった方が、と思った」。

 ボロボロの社員=選手?が力を付け、“マーくん”こと田中将大投手をはじめとする、新入社員が優秀であったことも幸いし、リーグ優勝5回、日本一3回の名将・野村の考えが浸透しつつある楽天は07年2年連続最下位から脱出。4位で07年のシーズンを終えた。

  

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