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日めくりプロ野球9月

【9月21日】1988年(昭63) 南海、ダイエーに球団譲渡決まる ホークスは福岡へ

南海時代の杉浦監督。初代“福岡”ホークスの監督に就任したが、“大阪”ホークスへの愛情はかなり深く、監督留任を当初は拒んだ
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 関西4私鉄の一角、南海電鉄がついに年間10億円の赤字を生み出す「南海ホークス」をついに手放した。

 身売り説は以前から頻繁にあったが、大阪市南区のホテルで行われた、南海・吉村茂夫オーナーとダイエーの総帥・中内功社長の約1時間に渡る会談で合意に達した。

 当時、右肩上がりの売り上げを誇っていたダイエー側が具体的なアクションを起こしたのは、同年8月11日。福岡市で地元政財界のトップが密かに集まり、その席上ダイエー側が「南海ホークスを買収する話を進めている。福岡を本拠地にしたい」と話した。

 8月下旬に買収の動きが報道されたが、ダイエー、南海側とも否定したが、水面下で話は進んでいた。9月13日になって、中内社長が出張先の中国から吉村オーナーに電話を入れ、正式に譲渡を要請。吉村オーナーは(1)ホークスの名前を残す(2)選手の待遇改善(3)杉浦忠監督の留任の3条件を出した。

 3条件のうち、杉浦監督の留任は、監督自身の要望で中内社長と会ってから決めることになった。譲渡決定2日後の23日、大阪球場での西武戦前に中内−杉浦会談がセッティングされ、中内社長は「君の好きなようにやりなさい」と杉浦監督に全面支援を約束。当初、留任に難色を示していた監督も、球団に対する社長の熱の入れようを感じ取り、新生ホークスの初代監督を引き受けることになった。

 南海は大阪球場のある難波周辺の再開発に伴い、球場の移転・解体を迫られていたが、南海電鉄会長でもある川勝伝オーナーがホークス売却を反対。ところが88年4月、同オーナーが死去。新オーナーに電鉄社長で、経理畑出身の吉村氏が就任したことで身売り話が一気に加速した。

 88年11月に発表された、南海電鉄の中間決算によると、売却額は約28億円。球団の借金なども含まれた上での額だった。

 そのダイエーも04年末に球団を手放し、情報通信大手ソフトバンクが買収。福岡ダイエーとしての歴史は16年で終わった。

 大阪球場も一時、住宅展示場などになっていたが、今は跡形もない。そこに球場がだったという名残は、大型複合施設「なんばパークス」内にホームベースとマウンドがあった場所に埋め込まれているプレートなど、ごく一部に限られている。ホークスという愛称のみが、住まいを大阪から福岡に移しながら球団の長い歴史を継承している。

  

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