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日めくりプロ野球9月

【9月13日】1977年(昭52) 人工芝恐怖症の中日、ようやく19連敗で止まる

人工芝の後楽園での連敗を19で止めた中日。最後は冷や汗をかきながら、ストッパー・鈴木孝政が抑えた(写真は同年、神宮球場で)
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 【中日6−5巨人】3億円の総工費をかけて、人工芝の後楽園球場が登場したのは76年のこと。グリーンの色鮮やかなじゅうたんはカクテル光線によく映えたが、中日にとっては“魔のじゅうたん”だった。

 76年は1引き分けをはさんで巨人に12連敗。2年目の77年も7連敗。セ・リーグ記録の同一球場20連敗目前の18回戦でドラゴンズはようやく1点差で逃げ切った。

 9回裏、巨人は俊足の柴田勲中堅手を二塁に置き、打者土井正三二塁手のカウントは2−3。リリーフエース、鈴木孝政投手渾身のストレートで、なんとか正岡真二遊撃手への正面のゴロに打ち取とると、三塁側のドラゴンズベンチは大はしゃぎ。スタンドからは五色のテープが投げ込まれ、まるで優勝したかのような光景が人工芝の上で繰り広げられた。

 ヒーローインタビューは4回に浅野啓司投手から9号2点本塁打を放った木俣達彦捕手。「やっと勝てたなぁ。人工芝、人工芝って、周りから魔物のように言われて、それでこっちが意識してしまった」と、連敗が始まってから約500日にも及ぶ苦しい胸の内を明かした。

 とにかく失策絡みで落とす試合が続出した19連敗だった。黒星街道のスタートとなった、76年5月4日の巨人3回戦の初回、本来は三塁手の島谷金二が二塁を守り2失策で3点を献上。島谷は9回に小林繁投手から通算100号となる4号ソロ本塁打を放ったが焼け石に水。3−10で大敗した。

 以後、中日は勝負どころでの“守乱”が目立ち、新聞には“人工芝恐怖症”とまで書かれた。土のグラウンドと違い、ゴロの球足が速かったことに十分対応できなかったのが、連敗の原因だった。

 人工芝との相性は最高、のはずだった。76年開幕前に人工芝球場完成を記念してセ・リーグトーナメント大会が行われたが、優勝したのは中日。準決勝では巨人に10−7と打ち勝っており、オープン戦とはいえ、まず先に勝ったのはドラゴンズだった。

 結局、中日は77年に後楽園で3勝。ようやく勝ち越せたのは81年(6勝4敗)。84年も7勝3敗と白星が先行したが、88年東京ドームに試合が移るまで、42勝84敗4分け。3試合に1試合しか勝てず、やはり後楽園の人工芝は最後まで苦手だったようだ。

1977年9月13日 巨人−中日18回戦 後楽園 巨人12勝5敗1分
  1 2 3 4 5 6 7 8 9
中  日
巨  人
投 手
中 日 ○松本(4勝8敗2S)、青山、S鈴木孝(15勝5敗8S)−木俣
巨 人 ●浅野(8勝4敗1S)、小俣、高橋、西本−矢沢、杉山
 
本塁打 藤波6号、木俣9号(中)
三塁打 河埜(巨)
二塁打 谷沢2(中)張本、河埜(巨)
中  日  12安打7三振4四死球 3盗塁0失策10残塁
巨  人  11安打3三振3四死球 1盗塁0失策6残塁
球審・松橋  試合時間3時間10分 観衆4万7000人
  

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