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日めくりプロ野球9月

【9月24日】1986年(昭61) 原、渾身のフルスイング 炎のストッパーの速球で骨折

85年にはリーグ最多死球の10個を記録した原。巨人の4番ゆえの厳しい内角攻めには手を焼いた
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 【広島4−1巨人】絶対に負けられない天王山で、背番号8の左手はフルスイングでファウルを打った瞬間、悲鳴を上げた。

 後楽園球場での巨人−広島25回戦。9回裏、1−4と3点ビハインドの巨人は二死一塁で、打者は原辰徳三塁手。打撃不振で84年9月22日以来、約2年ぶりに6番に降格したジャイアンツの第48代4番打者は5回、意地の36号ソロ本塁打を左腕大野豊投手から放っていた。

 カウント2−1。広島の抑え津田恒美投手は直球で三振を取りにいった。強振した原。バックネットへファウルとなった直後、原は左手首を押さえてうずくまった。激痛で表情がゆがみ、脂汗が流れる。バットを握ろうにも握れない。王貞治監督の眉間にしわが寄った。厳しい表情の指揮官は、岡田和也球審にも代打を起用するしかなかった。

 代打は山崎章弘捕手。勝負はあっけなく1球で見送りの三振に終わった。巨人首位陥落。同時に原の戦線離脱という最悪の状況に陥った。

 当初、古傷の左手首のじん帯を痛めたとされたが、2日後に慈恵医大で精密検査を受けた結果、左手小指の外側付近の骨折で全治2カ月と診断された。

 主砲1門を欠いた巨人は、ウォーレン・クロマティー中堅手が4番に座り、以後8連勝。残り10試合9勝1敗の成績を残したが、広島も負けなかった。残り15試合を11勝4敗。ゲーム差なし、わずか3厘差で王巨人は3年連続して優勝を逸した。

 骨折の影響は少なくなかった。翌87年、原は現役生活15年の中で最高の打率3割7厘を残したが、本塁打数は年々下降の一途をたどった。「骨折以降、自分の思うようなバッティングはできなくなった」と原は後に振り返っている。

 1000試合以上巨人の4番打者として出場したのは川上哲治一塁手(1658試合、3割1分7厘)、長嶋茂雄三塁手(1460試合、3割1分4厘)、王(1231試合、3割1分5厘)、そして原(1066試合、2割7分9厘)の4人のみ。チャンスに強かったかどうかは、議論の余地があるところだが、勝利打点通算91はプロ野球歴代1位の記録として残っている。

 打者の指が骨折するほどの直球を投げた津田は「あれは自分でもスピードが乗っていたと思う」と最高のボールだったと後々まで自負していたという。その津田に翌朝悲報がもたらされた。

 津田が19個目のセーブを挙げてから約2時間後、闘病中の母が肝不全のため、54歳で他界した。一晩明けてから知らされた津田だが、25日の巨人との最終戦にはベンチ入り。「最後に会ったのは10日前。私の病気は気にせずにチームのために頑張れと言われました」。母の言葉に従い、津田は故郷の山口には帰らず、いつものようにブルペンで肩を作り、登板に備えた。

1986年9月24日 巨人−広島25回戦 後楽園 広島14勝10敗1分
  1 2 3 4 5 6 7 8 9
広  島
巨  人
投 手
広  島 ○大野(4勝5敗)、S津田(4勝6敗19S)−達川
巨  人 ●槙原(8勝5敗)、斎藤、宮本、サンチェ−有田、山倉
 
本塁打 原36号(巨)
三塁打  
二塁打 大野、小早川、津田(広)
広  島   11安打12三振7四死球 3盗塁0失策12残塁
巨  人   5安打10三振1四死球 0盗塁1失策5残塁
球審・岡田  試合時間3時間30分 観衆5万人  
  

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